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日新丸 田浦港にて

おやじメモより

 田浦港にての風景 ?の物品は船体の倉庫に片付ける

 ?は判読不明
 この2枚の写真をよ~く見ると、同じ船が写ってますね。
 日新丸の上で場所を変えて撮り直しているようです。
 上の写真は中央から船頭へ、下は船
尾から

中央へカメラを向けて撮影しています。


 横須賀市田浦地区の長浦町に大洋漁業の倉庫と事務所が有ったので(現横浜ベイスターズ総合練習所その他)、船は横須賀本港か長浦港あたりで資材を積み込んでいたようです。
 残念ながら田浦港と呼ばれる港は見つかりませんが、同じく田浦地区に田浦港町という町名があり、長浦港に面しているので、このあたりかな〜と思われます。

 いろいろ調べてみると、長浦港にも横須賀本港にも大洋漁業の捕鯨母船が停泊していたようです。

 そしてついに発見しました。昭和46年空撮の第三日新丸です。5月ですから南氷洋から帰港して搬出しているところのようです。きっと二代目日新丸もこの辺りで搬入搬出を行っていたでしょう。上の写真の隅々を見ると、ほぼ間違いないと思われます。

第三日新丸空撮

出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=445023)

撮影年月日:昭和46年(1971)5月7日

撮影地域:横須賀

撮影計画機関:国土地理院

まないた

俎(まないた)

 おやじの写真を見ると、かなりの荷物が積み込まれていますね。

 この時に積み込んでいる材木は、俎(まないた)をつくる為だったようです。といっても私たちが台所で使う俎ではなく、左写真のように母船の甲板の上にクジラを乗せる俎 をるくるのです。
 捕鯨母船は日本を出港すると赤道まで約10日、その間に様々な準備作業があったようですが、全甲板の上に俎を作るのがその一つだったようです。

 左側の写真は、1986(昭和61)年10月28日に横浜港から最後の商業捕鯨に出港した第三日新丸です。
 おやじが録画しておいたVHSテープに、この頃日本テレビのTime21で放送された「父ちゃんの海が消える・最後の南氷洋捕鯨」という番組が残されていました。
 写真はテレビ映像をそのままカメラで写したものですが、俎作りの場面です。

 おやじも最後の航海として乗船していました。

第三十四南氷洋捕鯨

 話は変わって昭和54年。第三十四南氷洋捕鯨に出港した第三日新丸の航行記録を表現してみました。データは当時乗船していた丸山シチュウジ(司厨長)が残していたものを参照しています。注意;音が出ます♪

入港準備

 11月26日のロシア(当時ソビエト社会主義共和国連邦)の

捕鯨船ウクライナ号と会合とは、「ウクライナ号11/26 

1700会合」とのメモがあり、おそらくこの場所で鯨肉1700頭

をソ連から買い付けていたのではないかと思われます。

 12月7日の仲積船福洋丸と会合とは、「0300会合」とのメモ

が残っているので、ローグサイド(横付け)して第三日新丸か

ら福洋丸へ、300頭分の鯨肉を積み込んだのでしょう。

 12月29日福洋丸日本向けとは、メモの脇に「ソ(1235頭)」とあり、さらに「(日本1236ト、ソ1235ト)=2471頭」とのメモがあるので、この時点で福洋丸を満載にして日本へ向けたのではないかと思われます。 

 このシーズンは日本から見て、南極大陸の向こう側を一周し、昭和基地の目と鼻の先で操業していたのですね。

 動画の曲は日新丸捕鯨船隊行進曲です。

 

出港準備

丸山シチュウジの記録

ソヴィエツカヤ ウクライナ

第二日新丸

解体風景 秋田組と岩手組 

マルハ木曜アワー

横須賀軍港

出港式準備

倉庫(田浦事務所)

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