お や じ の ア ル バ ム
第二天洋丸 敗戦直後

おやじメモより
荷船を待つ第三天洋丸 (母船日新丸とローグサイドをする為のロープを張る操作)
この白線入りの第三天洋丸が、おやじのアルバム最大の不思議なのです。
今のところネット上では発見できてませんし、CiNiiで見つけた工船兼冷凍船第三天洋丸概要という資料に載っている図面とも違うようです。

TENYO MARU NO.3
第 三 種 漁 船
全 長・・・・・106.00m
長(垂線間)・・ 99.80m
幅(型)・・・・ 15.00m
深(型)・・・・ 8.00m
満載吃水・・・・ 6.38m
總噸數・・・・・ 3,689噸
純噸數・・・・・ 2,868噸
軍量噸數・・・・ 4,115KT
写真に合わせて図の方向を変えてみました。
どう見ても煙突の位置が違いますよね。同じ船とは思えません。
また、資料によれば
本船は大洋漁業株式會社の御注文により、川崎重工業株式會社線船舶工場にて建造せられた工船兼冷凍船で
ある。
昭和23年7月7日建造許可せられ、同月8日起工、同年10月22日進水、同年12月20日引渡し、同月22日
直に南氷洋に向け、神戸港を出港した。
本船は南氷洋魚場では、母船にて裁割せられたる鯨肉の冷凍及鹽藏作業を爲すと共に、母船にて製造せられ
た此等の製品の運搬船として使用せられ、小笠原魚場では、上甲板上で鯨體の解剖を爲し、鯨油、冷凍肉(皮を
含む)及び副産物として、膠、蒸骨(肥料)を製造する。又鮪漁場では鮪延縄漁船を隨伴し、鮪の冷凍を行う。
此等の製品に對する諸設備の詳細は別に紹介せられる機會があると思われるので、此處には本船の概要のみ
を記述する。
とあります。 ☆鹽藏=塩蔵 隨伴=随伴
第三天洋丸の役割は、南氷洋で操業している捕鯨母船日新丸で処理された鯨肉製品を日本へ運ぶのが仕事でした。設計目的としては小笠原の漁場で捕鯨母船としても働けるように、船尾には幅4mのスリップウエイも設備されていましたが、使われることはなかったようです。実質中積船だったわけですね。全長106mですから捕鯨母船としてはかなり小さな船でした。
白線入りの第三天洋丸の方は拡大しても読めません。もしかしたら、違う船名の中積船かもしれませんね。
天洋丸と播州丸
日新丸と天洋丸のローグサイド

大橘丸 DAIKITSU MARU 56819/JCXF 10,611G/T 14kt
起工 1944.11.25(昭19) 進水 1945.4.15(昭20) 竣工 1947.12.6(昭22)
川崎重工業株式会社艦船工場(神戸)建造 Sno.743 大阪商船株式会社(大阪)
大橘丸 Daikitsu Maru SCAJAP No.T244 →1945.5.15(昭20)工事を中止→1946.3(昭21)大洋漁業(東京)に売却、第二天洋丸 Tenyo Maru No.2 と改名→1947.6.22(昭22)第600番船として工事再開→1947.12(昭22)主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装、冷凍船として完工→1952.4.11(昭27)大洋商船(東京)に移籍、東日本重工業(横浜)で油槽船に改造、B.V.船級取得改造工事、8月17日完工→1964.5(昭39)堺で解体

昭和23年4月11日
1、序言
連合國の一部の反對を押し切って、マ司令部より南氷洋捕鯨出漁が許可された事は、食糧不足に悩む日本國
民として、衷心感謝に堪えぬ次第である。既に昨年度は大洋漁業の第一日新丸、日本水産の橋立丸を基體とす
る二船團が出漁して、鯨油鯨肉等の海の幸を滿載して歸り、國民を喜ばしたのであるが、折角の鯨肉も鹽辛い
鹽藏肉が主であった。南氷洋に於ける鯨の風味を損ずる事なく大量に持ち歸り、國民の乏しい食膳を賑わす事
に意を向けた太陽漁業では、川崎造船所の岸壁に續行船として繋留されていた戦標船 1.T.L. 大橋丸を冷凍鹽
藏船に改造する計畫をたてたのである。昨年7月2日 G.H.Q より、建造許可の指令を受けたが、果たしてこの
大改造工事を11月迄に短期間に成し遂げられるや、大いに懸念されたが、本船完成の意義は、単に國家的事業
のみならず、マ司令部より我々日本人に興えられた一大使命であると言う信念の下に、本船の完成に社運を賭
して突進したのである。爾来 G.H.Q はもとより、關係諸官廳を始め、直接間接に關係ある諸方面の援助を得
て、無事本船を12月7日南氷洋に送り出す事を得た事は、今尙感激に堪えぬところである。玆に本船の特異點
を紹介し、建造經過主として、冷凍設備に就て報告したいと思う。
簡単に書くと
アメリカのマッカーサー元帥の総司令部(GHQ)から南氷洋捕鯨の許可が下りた事に、食料不足に悩む日本人として感謝申し上げます。既に昨年度は大洋漁業と日本水産の2船団が出漁し、多くの鯨油鯨肉を獲得したものの、塩辛い塩漬け肉が主でした。
そこで大洋漁業では、南氷洋の風味を損なわずに旨味をそのまま運び、国民の食卓を賑わしたいという想いから、川崎造船所にあった戦標船 1.T.L. 大橋丸を冷凍塩蔵船に改造する計画をたてました。
昨年7月2日 G.H.Q から指令は受けたものの、11月迄には時間がなく、大いに懸念されたのですが、この仕事の意義は単に国家的事業というだけでなく、マッカーサー司令部より我々日本人にあたえられた一大使命であると受け止め、完成に社運をかけて挑んだのです。
G.H.Q はもとより、関係諸官長を始め、直接間接の関係者の援助を得て無事完成し、12月7日に南氷洋へ送り出す事が出来ました。
時代を感じますね。
「マ司令部」とは、連合国軍最高司令官総司令部といい、「G.H.Q」 は総司令部(General
Headquarters)の略称です。
ペンギン
15日
歴史
昭和20年(1945年)
8月14日
ラジオで「15日正午より重大発表あり」という旨の放送。
ポツダム宣言受諾を連合国側に通知。
天皇が玉音放送を録音。
社団法人日本放送協会(当時)にて昭和天皇による終戦の詔書「玉音放送」がラジオで流された。
午前11時
午後 9 時
午後11時
午後11時20分
正午
22日
27日
28日
30日
31日
3日
9月2日
13日
8日
9日
10日
11日
14日
15日
16日
17日
18日
20日
21日
22日
23日
24日
25日
27日
29日
30日
10月1日
2日
4日
5日
アメリカ陸軍の太平洋陸軍総司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官(SCAP)に就任し、同年10月2日、総司令部が東京に設置された。
日本では昭和天皇が御前会議においてポツダム宣言(無条件降伏)の受諾を発表。
樺太からの引き揚げ船3隻が国籍不明の潜水艦に撃沈される。死者1708人。
尊攘同志会員ら12名、愛宕山で自爆による集団自決。
ラジオの天気予報が復活。
政府代表重光葵外相・軍部代表梅津美治郎(よしじろう)参謀総長、日本側全権大使として米軍艦
「ミズーリ」上で「降伏文書」に調印。これにより太平洋戦争は終結した。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)、指令第1号(軍隊の敵対行為禁止・武装解除・軍需生産全面停止など。)を指令。
スターリン、南樺太・千島を獲得する旨を言明。
マッカーサー元帥、日本管理方針に関する声明で「間接統治方針」を発表。
米兵による略奪・暴行事件が銀座と大森海岸で発生(米兵ギャング事件)。
東京淀橋警察署、闇市の露店を全面禁止。
9日の「米兵ギャング事件」をうけて、隣組が婦女子へ警告を回覧。 隣組緊急回覧板に「婦人は進駐軍に笑顔を見せるな」と警告した。
大本営廃止。
国後島進駐のソ連軍、千島のソ連領編入を宣言する。
GHQ、100トン以上の船舶航行を解禁。
東京日比谷第一生命相互ビルにGHQ本部を設置することが決定される。
『日米会話手帖』刊行、360万部売れる。
海軍省、引き揚げ者輸送のための艦艇乗組員を召集。
GHQが東京へ移転。
日本政府、15日のGHQ命令をうけて「船舶造修能力の回復措置」を決定(いわゆる「続行船」の生産開始) 。
西日本を中心に「枕崎台風」が上陸。室戸台風に次ぐ規模で、死者・行方不明者3756人。
GHQ、指令第2号として、政府・大本営が行うべき戦後措置の内容を指令。
GHQ、日本船舶を国家管理のまま、米国太平洋艦隊司令官の指揮下に編入することを決定。
イギリス人新聞記者バーチェットが「広島における大惨状(ノー・モア・ヒロシマ)」を打電。
連合国軍の米兵約8000名、東京にジープで進駐を開始。
GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」違反で、朝日新聞社の業務停止を指示。
朝日新聞は「48時間(9月19日~20日)」の休刊を命ぜられる。
「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」公布。即日施行。 これが、「ポツダム勅令」の法的根拠となる。
文部省、中等学校以下の教科書から戦時教材を削除を指示。教科書の墨塗り作業が始まる。
米陸軍に代わり、米海軍が沖縄を統治。
米国政府、「降伏後における米国の初期対日方針」を発表。
生活必需品の生産促進と輸出入活動の禁止を指令。
占領軍むけラジオ放送(AFRS)が始まる。
トルーマン米大統領、マッカーサー元帥の権限に関して指令。
大蔵省、占領軍軍票は無制限通用通貨である旨を公布。
「プレス(報道)の政府からの分離に関する覚書」公布。
これにより、新聞・通信社に対する、日本政府の統制支配が廃止される。
しかし、これは同時に「プレス(報道)」全般への統制が、GHQの「直接統治」へ移行したことを意味した。
復員第一船の「高砂丸(たかさごまる)」、中部太平洋メレヨン島から1628人を乗せて別府港に到着。
昭和天皇、アメリカ大使館にマッカーサー元帥を訪問する。
GHQ、「プレス(報道)および言論の自由への追加措置に関する覚書」を9月27日付で公布。
GHQ、戦時諸法令の廃止を指令。
「大日本労務報徳会」解散。
「大日本産業報国会」解散。
七尾市で中国人労働者380名が警察署を襲撃。
GHQ、特定金融機関の閉鎖を指示。
これにより、満鉄・戦時金融公庫など29の特定金融機関が即時営業停止となる。
この月、街頭に「闇市」氾濫。 この月から11月頃まで、北海道・常磐などで中国人・朝鮮人などの「暴動」続発。
GHQ、特定金融機関の閉鎖を指示。
進駐軍要人用列車「オクダゴニアン号」運転開始。
総司令部(G.H.Q)本部が東京第一生命館(現:DNタワー21)に設置。
GHQ、「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書」提示。
4日の覚書の実行は不可能として、東久邇宮稔彦内閣が総辞職。
室戸丸、兵庫県沖で機雷に触れて沈没。
夕張炭坑で朝鮮人労働者6000余人がストライキ。
GHQ、「必要物資の輸入に関する覚書」提示。 これにより、日本国民の最低生活水準維持に必要な物資のみに限り輸入が許可された。
米よこせデモを契機に、大阪で「主婦の会」結成。
7日
8日
9日
近衛文麿内大臣府御用掛、外国マスコミに対し、憲法改正構想について会見を開く。
治安維持法、海軍軍令部、廃止。
松本烝治国務相、新設の「憲法問題調査委員会」の基本的性格を記者団に発表。
南方諸島からの引揚者数が、2万1850人をこえる。
盛岡市で弁当難から国民学校は午前中授業。
近衛文麿内大臣府御用掛、外国マスコミと会見し、「天皇の退位問題」・「GHQへの新憲法の提出」に関する発言。
佐々木惣一内大臣府御用掛、『毎日新聞』上で内大臣府憲法改正作業批判に反論。
松本烝治国務相、近衛文麿内大臣府御用掛と会見し、21日の発言に抗議。
GHQ、「信教の自由に関する覚書」公布。
国連憲章が発効。国際連合が正式発足する。
政府、食糧435万トンの輸入をGHQに懇請する。
日本勧業銀行、「第1回宝くじ」発売。1等は賞金10万円に加え、副賞に純綿キャラコ(インド綿布)2反が与えられた。
10日
13日
15日
18日
20日
21日
24日