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第二天洋丸 敗戦直後

おやじメモより

 荷船を待つ第三天洋丸 (母船日新丸とローグサイドをする為のロープを張る操作)

 この白線入りの第三天洋丸が、おやじのアルバム最大の不思議なのです。

 今のところネット上では発見できてませんし、CiNiiで見つけた工船兼冷凍船第三天洋丸概要という資料に載っている図面とも違うようです。

TENYO MARU NO.3

第 三 種 漁 船

全 長・・・・・106.00m

長(垂線間)・・  99.80m

幅(型)・・・・  15.00m

深(型)・・・・ 8.00m

満載吃水・・・・ 6.38m

總噸數・・・・・  3,689噸

純噸數・・・・・  2,868噸

軍量噸數・・・・  4,115KT

 写真に合わせて図の方向を変えてみました。

 どう見ても煙突の位置が違いますよね。同じ船とは思えません。

 また、資料によれば

 

  本船は大洋漁業株式會社の御注文により、川崎重工業株式會社線船舶工場にて建造せられた工船兼冷凍船で

 ある。
  昭和23年7月7日建造許可せられ、同月8日起工、同年10月22日進水、同年12月20日引渡し、同月22日

 直に南氷洋に向け、神戸港を出港した。
  本船は南氷洋魚場では、母船にて裁割せられたる鯨肉の冷凍及鹽藏作業を爲すと共に、母船にて製造せられ

 た此等の製品の運搬船として使用せられ、小笠原魚場では、上甲板上で鯨體の解剖を爲し、鯨油、冷凍肉(皮を

 含む)及び副産物として、膠、蒸骨(肥料)を製造する。又鮪漁場では鮪延縄漁船を隨伴し、鮪の冷凍を行う。
  此等の製品に對する諸設備の詳細は別に紹介せられる機會があると思われるので、此處には本船の概要のみ

 を記述する。

 とあります。  ☆鹽藏=塩蔵 隨伴=随伴

 

 第三天洋丸の役割は、南氷洋で操業している捕鯨母船日新丸で処理された鯨肉製品を日本へ運ぶのが仕事でした。設計目的としては小笠原の漁場で捕鯨母船としても働けるように、船尾には幅4mのスリップウエイも設備されていましたが、使われることはなかったようです。実質中積船だったわけですね。全長106mですから捕鯨母船としてはかなり小さな船でした。

 白線入りの第三天洋丸の方は拡大しても読めません。もしかしたら、違う船名の中積船かもしれませんね。

天洋丸と播州丸

日新丸と天洋丸のローグサイド

第二天洋丸

大橘丸 DAIKITSU MARU 56819/JCXF 10,611G/T 14kt
起工 1944.11.25(昭19) 進水 1945.4.15(昭20) 竣工 1947.12.6(昭22)
川崎重工業株式会社艦船工場(神戸)建造 Sno.743 大阪商船株式会社(大阪) 
大橘丸 Daikitsu Maru SCAJAP No.T244 →1945.5.15(昭20)工事を中止→1946.3(昭21)大洋漁業(東京)に売却、第二天洋丸 Tenyo Maru No.2 と改名→1947.6.22(昭22)第600番船として工事再開→1947.12(昭22)主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装、冷凍船として完工→1952.4.11(昭27)大洋商船(東京)に移籍、東日本重工業(横浜)で油槽船に改造、B.V.船級取得改造工事、8月17日完工→1964.5(昭39)堺で解体

第二天洋丸 発見! でも白線がない。

 船腹の修理・改造 - 戦後占領期で見つけたのですが、船名は船の所有者が変わると改名されるようですね。

船歴

 昭和23年4月11日

 1、序言
  連合國の一部の反對を押し切って、マ司令部より南氷洋捕鯨出漁が許可された事は、食糧不足に悩む日本國

 民として、衷心感謝に堪えぬ次第である。既に昨年度は大洋漁業の第一日新丸、日本水産の橋立丸を基體とす

 る二船團が出漁して、鯨油鯨肉等の海の幸を滿載して歸り、國民を喜ばしたのであるが、折角の鯨肉も鹽辛い

 鹽藏肉が主であった。南氷洋に於ける鯨の風味を損ずる事なく大量に持ち歸り、國民の乏しい食膳を賑わす事

 に意を向けた太陽漁業では、川崎造船所の岸壁に續行船として繋留されていた戦標船 1.T.L. 大橋丸を冷凍鹽

 藏船に改造する計畫をたてたのである。昨年7月2日 G.H.Q より、建造許可の指令を受けたが、果たしてこの

 大改造工事を11月迄に短期間に成し遂げられるや、大いに懸念されたが、本船完成の意義は、単に國家的事業

 のみならず、マ司令部より我々日本人に興えられた一大使命であると言う信念の下に、本船の完成に社運を賭

 して突進したのである。爾来 G.H.Q はもとより、關係諸官廳を始め、直接間接に關係ある諸方面の援助を得

 て、無事本船を12月7日南氷洋に送り出す事を得た事は、今尙感激に堪えぬところである。玆に本船の特異點

 を紹介し、建造經過主として、冷凍設備に就て報告したいと思う。

簡単に書くと
 アメリカのマッカーサー元帥の総司令部(GHQ)から南氷洋捕鯨の許可が下りた事に、食料不足に悩む日本人として感謝申し上げます。既に昨年度は大洋漁業と日本水産の2船団が出漁し、多くの鯨油鯨肉を獲得したものの、塩辛い塩漬け肉が主でした。
 そこで大洋漁業では、南氷洋の風味を損なわずに旨味をそのまま運び、国民の食卓を賑わしたいという想いから、川崎造船所にあった戦標船 1.T.L. 大橋丸を冷凍塩蔵船に改造する計画をたてました。
 昨年7月2日 G.H.Q から指令は受けたものの、11月迄には時間がなく、大いに懸念されたのですが、この仕事の意義は単に国家的事業というだけでなく、マッカーサー司令部より我々日本人にあたえられた一大使命であると受け止め、完成に社運をかけて挑んだのです。
 G.H.Q はもとより、関係諸官長を始め、直接間接の関係者の援助を得て無事完成し、12月7日に南氷洋へ送り出す事が出来ました。

 時代を感じますね。

 「マ司令部」とは、連合国軍最高司令官総司令部といい、「G.H.Q」 は総司令部(General

Headquarters)の略称です。

ペンギン

15日

歴史

昭和20年(1945年)

8月14日

ラジオで「15日正午より重大発表あり」という旨の放送。
ポツダム宣言受諾を連合国側に通知。
天皇が玉音放送を録音。

社団法人日本放送協会(当時)にて昭和天皇による終戦の詔書「玉音放送」がラジオで流された。

午前11時

午後 9 時

午後11時

午後11時20分

​正午

22日

27日

28日

30日

31日

3日

9月2日

13日

8日

9日

10日

11日

14日

15日

16日

17日

18日

20日

21日

22日

23日

24日

25日

27日

29日

30日

10月1日

2日

4日

5日

玉音放送
マ厚木到着

アメリカ陸軍の太平洋陸軍総司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官(SCAP)に就任し、同年10月2日、総司令部が東京に設置された。

日本では昭和天皇が御前会議においてポツダム宣言(無条件降伏)の受諾を発表。

樺太からの引き揚げ船3隻が国籍不明の潜水艦に撃沈される。死者1708人。         

尊攘同志会員ら12名、愛宕山で自爆による集団自決。

ラジオの天気予報が復活。

連合国軍艦船約430隻、相模湾に集結。

米第8軍先遣隊146名、厚木飛行場へ進駐。

マッカーサー元帥、厚木飛行場へ到着

横浜市で米兵がビール輸送中のトラックを襲撃。

政府代表重光葵外相・軍部代表梅津美治郎(よしじろう)参謀総長、日本側全権大使として米軍艦

「ミズーリ」上で「降伏文書」に調印。これにより太平洋戦争は終結した。 

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)、指令第1号(軍隊の敵対行為禁止・武装解除・軍需生産全面停止など。)を指令。

スターリン、南樺太・千島を獲得する旨を言明。

マッカーサー元帥、日本管理方針に関する声明で「間接統治方針」を発表。

米兵による略奪・暴行事件が銀座と大森海岸で発生(米兵ギャング事件)。

東京淀橋警察署、闇市の露店を全面禁止。

9日の「米兵ギャング事件」をうけて、隣組が婦女子へ警告を回覧。 隣組緊急回覧板に「婦人は進駐軍に笑顔を見せるな」と警告した。

大本営廃止。 

国後島進駐のソ連軍、千島のソ連領編入を宣言する。

GHQ、100トン以上の船舶航行を解禁。

東京日比谷第一生命相互ビルにGHQ本部を設置することが決定される。

『日米会話手帖』刊行、360万部売れる。

海軍省、引き揚げ者輸送のための艦艇乗組員を召集。 

GHQが東京へ移転。

日本政府、15日のGHQ命令をうけて「船舶造修能力の回復措置」を決定(いわゆる「続行船」の生産開始) 。

西日本を中心に「枕崎台風」が上陸。室戸台風に次ぐ規模で、死者・行方不明者3756人。

GHQ、指令第2号として、政府・大本営が行うべき戦後措置の内容を指令。

GHQ、日本船舶を国家管理のまま、米国太平洋艦隊司令官の指揮下に編入することを決定。

イギリス人新聞記者バーチェットが「広島における大惨状(ノー・モア・ヒロシマ)」を打電。

連合国軍の米兵約8000名、東京にジープで進駐を開始。

GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」違反で、朝日新聞社の業務停止を指示。 

朝日新聞は「48時間(9月19日~20日)」の休刊を命ぜられる。

「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」公布。即日施行。 これが、「ポツダム勅令」の法的根拠となる。

文部省、中等学校以下の教科書から戦時教材を削除を指示。教科書の墨塗り作業が始まる。

米陸軍に代わり、米海軍が沖縄を統治。

米国政府、「降伏後における米国の初期対日方針」を発表。

生活必需品の生産促進と輸出入活動の禁止を指令。

占領軍むけラジオ放送(AFRS)が始まる。

トルーマン米大統領、マッカーサー元帥の権限に関して指令。

大蔵省、占領軍軍票は無制限通用通貨である旨を公布。

「プレス(報道)の政府からの分離に関する覚書」公布。

これにより、新聞・通信社に対する、日本政府の統制支配が廃止される。

しかし、これは同時に「プレス(報道)」全般への統制が、GHQの「直接統治」へ移行したことを意味した。

復員第一船の「高砂丸(たかさごまる)」、中部太平洋メレヨン島から1628人を乗せて別府港に到着。

昭和天皇、アメリカ大使館にマッカーサー元帥を訪問する。

GHQ、「プレス(報道)および言論の自由への追加措置に関する覚書」を9月27日付で公布。

GHQ、戦時諸法令の廃止を指令。  

「大日本労務報徳会」解散。

「大日本産業報国会」解散。

七尾市で中国人労働者380名が警察署を襲撃。

GHQ、特定金融機関の閉鎖を指示。

これにより、満鉄・戦時金融公庫など29の特定金融機関が即時営業停止となる。

この月、街頭に「闇市」氾濫。 この月から11月頃まで、北海道・常磐などで中国人・朝鮮人などの「暴動」続発。

GHQ、特定金融機関の閉鎖を指示。

進駐軍要人用列車「オクダゴニアン号」運転開始。

総司令部(G.H.Q)本部が東京第一生命館(現:DNタワー21)に設置。

GHQ、「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書」提示。

4日の覚書の実行は不可能として、東久邇宮稔彦内閣が総辞職。

室戸丸、兵庫県沖で機雷に触れて沈没。

夕張炭坑で朝鮮人労働者6000余人がストライキ。

GHQ、「必要物資の輸入に関する覚書」提示。 これにより、日本国民の最低生活水準維持に必要な物資のみに限り輸入が許可された。

米よこせデモを契機に、大阪で「主婦の会」結成。

7

8日

9日

近衛文麿内大臣府御用掛、外国マスコミに対し、憲法改正構想について会見を開く。

治安維持法、海軍軍令部、廃止。

松本烝治国務相、新設の「憲法問題調査委員会」の基本的性格を記者団に発表。

南方諸島からの引揚者数が、2万1850人をこえる。

盛岡市で弁当難から国民学校は午前中授業。

近衛文麿内大臣府御用掛、外国マスコミと会見し、「天皇の退位問題」・「GHQへの新憲法の提出」に関する発言。

佐々木惣一内大臣府御用掛、『毎日新聞』上で内大臣府憲法改正作業批判に反論。

松本烝治国務相、近衛文麿内大臣府御用掛と会見し、21日の発言に抗議。

GHQ、「信教の自由に関する覚書」公布。

国連憲章が発効。国際連合が正式発足する。

政府、食糧435万トンの輸入をGHQに懇請する。

日本勧業銀行、「第1回宝くじ」発売。1等は賞金10万円に加え、副賞に純綿キャラコ(インド綿布)2反が与えられた。

10日

13日

15日

18日

20日

21日

24日

26日

29日

GHQ、理化学研究所仁科研究室などのサイクロトロン(加速器)を破壊し、海中へ投棄する。

軍人恩給停止。

東神奈川駅前で「米軍要員」を募集。多くの失業者が殺到する。

第89回臨時帝国議会召集。11月27日開会。12月18日閉会。

小笠原諸島周辺での捕鯨が許可第一次マッカーサーライン) 

11月1日

6日

7日

14日

17日

18日

20日

24日

26日

30日

12月1日

昭和21年(1946年)

30日

3日

5日

17日

23日

28日

31日

1月1日

2日

3日

5日

8日

10日

第一次マッカーサーライン

疎開学童の帰京が始まる(~翌年3月)。

閣議、憲法改正のための研究開始を決定。

閣議、女性への参政権付与を決定。

新聞各紙が憲法改正に関する記事を掲載。 各紙記事の題目は、『朝日新聞』が「欽定憲法の民主化」、『毎日新聞』が「憲法改正の緊急性」、『読売新聞』が「憲法の自由主義化」であった。

GHQ、憲法改正作業に関し、近衛文麿内大臣府御用掛を支持しない旨の絶縁宣言。

GHQ、日本の警察官が進駐軍将校に敬礼を行うよう命令。

全国人口調査を実施。総人口7199万8104人。戦争のため女性が男性を420万人上回る。

持株会社整理委員会を設立して「財閥解体」を推進することを指令。

住友本社、解散の方針を発表。

埼玉県熊谷東国民学校で、学童の帰農が始まる。

小笠原三九郎商工相、食料輸入のため生糸などとのバーター貿易をGHQに申請。

閣議、生鮮食品の配給統制撤廃を決定。

36年ぶりのの凶作で供給米価が6割高になる。

サイパン島に隠れていた将兵45名が投降する。

東大社研の世論調査で天皇制支持が78パーセント。

石炭不足で上越線の急行列車を一部運休。

GHQ、「国家神道に対する政府の保証・支援・保全・監督および弘布(こうふ)の廃止に関する覚書」。 これにより、国家と神道が分離。

上野駅地下道の浮浪者2500人が一斉収容される。

GHQ、「皇室財産を封鎖する覚書」を発表。

GHQ、民間航空と航空研究の禁止を指令。

昭和天皇、靖国神社に参拝する。

衆議院議員選挙法改正公布され、婦人参政権が実現。

東京鉄道局、占領軍輸送のため、東北本線と常磐線の二等車の切符販売を停止。

高野岩三郎、「共和制の改正憲法私案要綱(高野私案)」を発表。

宗教団体法等廃止の件が公布され、かわって宗教法人会令が公布され、信教の自由が法制度的に保障された。

日本のNHKラジオで「紅白音楽試合」(後の「NHK紅白歌合戦」の前身)放送。

12月 日本水産、制限会社に指定

この月から、一般病院で一般診療が再開した。

この年、並木路子の歌う「リンゴの歌」が大流行する。

11日

12日

13日

15日

19日

25日

昭和天皇が神格化を否定する詔書を発する(天皇の人間宣言)。

鎌倉鶴岡八幡宮の初詣客が、例年と比べ半減。

米陸軍省、日本の食糧が3000万トン不足していると報告。

米陸軍省、マッカーサー元帥の日本管理に関する報告書を発表。内容は、日本の民主化と日本人再教育について。

26日

29日

30

31

初の食料輸入船がフィリピンから東京港へ到着する。

GHQ、琉球列島・小笠原諸島などに対する日本の行政権を停止。

横浜で「夜の女(街娼)」を摘発し、摘発された23人中21人が病気。

GHQ、ソ連と中国は日本の占領には不参加であることを発表。

1月、闇市の露店が6万店に達する。

2月1日

3

4日

8日

10日

13日

15日

18日

20日

21日

22日

24日

26日

28日

東京西部に占領軍兵士の集団強盗が続発。

東京で銭湯の混雑が続き、本郷区では制止を無視した男女100人が混浴。

国連第1回総会がロンドンで開催。(~2月14日・51ヵ国参加)

中国、国民党と共産党が内戦停止に合意する。

東京で紙芝居が復活。景品は「せんべい」と「芋アメ」。

日本軍玉砕の島テニアンから、705人が帰国。

GHQ、日本政府に対して総選挙の実施を許可。

「幣原喜重郎改造内閣」発足。          

高級たばこ「ピース」が10本入7円で発売(日曜日に一人一箱)。

ラジオで「復員だより」の放送を開始。

青函連絡船の一等と二等がGHQ専用となる。

ラジオ「のど自慢素人音楽会」の放送開始。

代用燃料車からガソリン車への転換を禁止。

第一次農地改革、実施。

軍人恩給が停止される。(28年に復活)

 マッカーサー元帥、GHQ民政局(GS)へ「マッカーサー三原則」に沿った「日本国憲法草案」作成を指示。

このとき「日本国憲法草案(GHQ草案)」に盛り込まれることになった「マッカーサー三原則」の内容は、次の通り。

1、形式的天皇制の存続

2、戦争放棄・非武装・交戦権の否認

3、封建制度(華族制度など)の廃止

GHQ民政局(GS)、日本国憲法草案(GHQ草案)の起草作業を開始。

都内中学生に1万2000足の革靴を配給。

 松本烝治、「憲法改正要綱(松本試案)」と「説明書」を正式にGHQに提出。

GHQは「憲法改正要綱」を一時的に受け取り、2月13日に会議を持つことを約束。

原料高騰でガス料金が全国平均7倍の値上げ。

GHQ、「憲法政正要綱(松本試案)」の受け取りを正式に拒否。

 受け取る代わりに「GHQ草案(マッカーサー草案)」を吉田茂外相と松本烝治に手交。

2月14日(24日とも)~4月13日 大洋漁業(株)が元海軍第19号輸送艦を母船に、捕鯨船2隻と小笠原諸島近海捕鯨、第一次捕鯨へ出港。

米国で世界初のコンピュータ「ENIAC(エニアック)」完成。GHQ、文部省の教科書認定権を廃止すると発表。

松本烝治、「憲法改正案説明補充書」をGHQに提出するも、受け取りを拒否される。

ソ連、千島・南樺太の領土編入を宣言。

警視庁、婦人警察官の募集を開始。

閣議、「GHQ草案」の受諾を決定

タバコ「コロナ(10本入り10円)」発売。

閣議、GHQ草案を基本とする新憲法草案の起草を決定・開始。

東京の山手線でGHQ専用車両の運行開始。

公職追放令公布。

アメリカ映画、日本初のキスシーンとして話題になった「春の序曲」と「キューリー夫人」の二本が戦後はじめて封切られる。 入場料10円。邦画は3円。

3月1日

3日

13日

15日

16日

21日

22日

23日

24日

28日

29日

スターリン、「鉄のカーテン」演説をしたチャーチル元英国首相を戦争挑発者と非難。

1300円分の紙幣を偽造した中学生が逮捕される。

歌舞伎俳優片岡仁左衛門一家を、同居人が食べ物の恨みから惨殺。

労働組合法施行。

大蔵省、封鎖預金のうち住宅購入用に5000円まで払い戻しを認可する。

物価統制令公布(このときの消費者米価は、一石=250円)。

旧円の流通を全面禁止。「新円生活」始まる。このときの標準生活費は月500円。

引き揚げに関する覚書公布。 

在外邦人約800万人の引き揚げを指令。

米国船「マリーン・ファルコン号」が20万ポンドの生糸を積み、横浜港を出港した。

「バターン死の行進」の本間雅晴の死刑が確定。

米第八軍司令官、米兵が日本女性に「公然と愛情表現」を行うことを禁止する旨、指令。

宮城県女川港で、定期船の転覆事故。117人が死亡する。

米国からの輸入小麦製パンを、都民1人2斤配給する。

初の「カリフォルニア米」輸入船が横浜に入港。

タバコ闇売りの一斉摘発で7000余本を押収。

新任勅撰の貴族院議員30名、登院を禁止される。

預金封鎖が強化される。払い戻しは月100円になる。

マッカーサー元帥、日本の選挙結果の状況次第では再解散も考慮する旨を極東委員会(FEC)に回答。

国立大授業料、2.4倍の360円に値上げされる。

小型三輪車「ダイハツSE型」の製造が再開される。

「トリスウヰスキー」の発売再開。

4月1日

 

4日

6日

8日

10日

15日

19日

20日

22日

23日

24日

26日

27日

29日

米軍、魚缶詰100万ポンドを引き渡すと発表。

満州からの初の集団引揚げ船が博多に入港。

国民学校で最後の入学式。運動靴を特配する。

マッカーサー、「暴民デモ許さず」と食糧メーデーに対する反対・禁止声明を出す。

第1次吉田茂内閣成立。

映画『はたちの青春(主演:幾野道子)』が封切られ、日本映画初のキスシーンが話題になる。

昭和天皇、敗戦時以来の「玉音放送」を行い、食糧危機に家族国家の伝統で対処するよう訴える。

千葉県習志野に「農耕隊」として派遣中の豊多摩刑務所の受刑者28人が集団脱走する。

東京都食糧危機打開本部、千葉県の農村に代表を派遣し、米1000俵を獲得。

枢密院、「内閣憲法改正草案」の審議を再開。 

15坪以上の住宅および店舗の新築・増築を禁止。

上野アメ横の露店街に武装警官500人が出動し、禁制品を摘発する。トラック16台分を押収。

早稲田大学、学生自治会が自治権を確立。学生自治会が自治権を確立したのは、これが初めて。

ダンサー・女給らに週1回の性病検査を義務づける。

「ちり紙」の配給実施を発表。大都市では1人50枚。

新選挙法による第22回(通算)衆議院議員選挙実施。日本初の女性議員39人が誕生。

大洋漁業 小笠原諸島近海捕鯨、第一次捕鯨終了。座頭鯨(ザトウクジラ)12、鰯鯨(イワシクジラ)29、抹香鯨(マッコウクジラ)72:合計113頭を捕獲。

持株会社整理委員会令公布。 プロ野球、後楽園球場で再開。

銀座復興祭始まる。200店中150店復興。

自由・社会・協同・共産4党、「幣原内閣打倒共同委員会」結成。

文部省、軟式野球のボール1万ダースを配布。

米海軍、東京湾で金塊103本を引揚げ。

幣原喜重郎内閣、総辞職。これより1ヵ月政治空白期となる。

枢密院、「内閣憲法改正草案」第1回審査委員会。 

沖縄中央政府創設。初代知事は、志喜屋孝信(しきやこうしん)。

長谷川町子の「サザエさん」、夕刊フクニチで連載開始。

幣原喜重郎、進歩党総裁に就任。

東京都、緊急食糧として、こんにゃく1枚と凍り豆腐を配給。

主食遅配が深刻で、半月で飢餓状態と新聞に報道される。

人口調査による失業者数が発表される。完全失業者159万人、潜在失業者を含めると600万人を数える。

昭和19年9月以来中断していた、プロ野球公式戦が再開される。

GHQ、東条英機らA級戦犯28人の起訴状を発表。

マッカーサー元帥暗殺企図容疑で、18歳の少年が逮捕される。

経済同友会(代表幹事:諸井貫一)設立。

植村環YMCA会長が渡米。これが戦後初の海外渡航となる。

自由党による単独内閣の発足が決定。

5月1日

27日

25日

24日

20日

19日

16日

12日

9日

8日

10日

3日

11日

13日

17日

23日

22日

29日

30日

31日

メーデーが11年ぶりに復活(第17回メーデー開催)。宮城前広場に50万人が参集する。

広島・長崎で白血病患者出はじめる。

極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。東条英機ら28名が、A級戦犯として起訴される。

ソ連軍、満州(中国東北部)撤退を完了。

原料高騰でガス料金が全国平均7倍の値上げ。

GHQ、「憲法政正要綱(松本試案)」の受け取りを正式に拒否。

 受け取る代わりに「GHQ草案(マッカーサー草案)」を吉田茂外相と松本烝治に手交。

2月14日(24日とも)~4月13日 大洋漁業(株)が元海軍第19号輸送艦を母船に、捕鯨船2隻と小笠原諸島近海捕鯨、第一次捕鯨へ出港。

米国で世界初のコンピュータ「ENIAC(エニアック)」完成。GHQ、文部省の教科書認定権を廃止すると発表。

松本烝治、「憲法改正案説明補充書」をGHQに提出するも、受け取りを拒否される。

ソ連、千島・南樺太の領土編入を宣言。

警視庁、婦人警察官の募集を開始。

閣議、「GHQ草案」の受諾を決定

タバコ「コロナ(10本入り10円)」発売。

閣議、GHQ草案を基本とする新憲法草案の起草を決定・開始。

東京の山手線でGHQ専用車両の運行開始。

公職追放令公布。

アメリカ映画、日本初のキスシーンとして話題になった「春の序曲」と「キューリー夫人」の二本が戦後はじめて封切られる。 入場料10円。邦画は3円。

労働組合法施行。

大蔵省、封鎖預金のうち住宅購入用に5000円まで払い戻しを認可する。

物価統制令公布(このときの消費者米価は、一石=250円)。

旧円の流通を全面禁止。「新円生活」始まる。このときの標準生活費は月500円。

スターリン、「鉄のカーテン」演説をしたチャーチル元英国首相を戦争挑発者と非難。

1300円分の紙幣を偽造した中学生が逮捕される。

歌舞伎俳優片岡仁左衛門一家を、同居人が食べ物の恨みから惨殺

引き揚げに関する覚書公布。           

在外邦人約800万人の引き揚げを指令。

米国船「マリーン・ファルコン号」が20万ポンドの生糸を積み、横浜港を出港した。

「バターン死の行進」の本間雅晴の死刑が確定。

米第八軍司令官、米兵が日本女性に「公然と愛情表現」を行うことを禁止する旨、指令。

宮城県女川港で、定期船の転覆事故。117人が死亡する。

米国からの輸入小麦製パンを、都民1人2斤配給する。

初の「カリフォルニア米」輸入船が横浜に入港。

タバコ闇売りの一斉摘発で7000余本を押収。

新任勅撰の貴族院議員30名、登院を禁止される。  

預金封鎖が強化される。払い戻しは月100円になる。

マッカーサー元帥、日本の選挙結果の状況次第では再解散も考慮する旨を極東委員会(FEC)に回答。

国立大授業料、2.4倍の360円に値上げされる。          

小型三輪車「ダイハツSE型」の製造が再開される。

「トリスウヰスキー」の発売再開。

米軍、魚缶詰100万ポンドを引き渡すと発表。

満州からの初の集団引揚げ船が博多に入港。

国民学校で最後の入学式。運動靴を特配する。

新選挙法による第22回(通算)衆議院議員選挙実施。日本初の女性議員39人が誕生。

大洋漁業 小笠原諸島近海捕鯨、第一次捕鯨終了。座頭鯨(ザトウクジラ)12、鰯鯨(イワシクジラ)29、抹香鯨(マッコウクジラ)72:合計113頭を捕獲。

ダンサー・女給らに週1回の性病検査を義務づける。

「ちり紙」の配給実施を発表。大都市では1人50枚。

自由・社会・協同・共産4党、「幣原内閣打倒共同委員会」結成。

文部省、軟式野球のボール1万ダースを配布。

米海軍、東京湾で金塊103本を引揚げ。

持株会社整理委員会令公布。 プロ野球、後楽園球場で再開。

銀座復興祭始まる。200店中150店復興。

幣原喜重郎内閣、総辞職。これより1ヵ月政治空白期となる。

枢密院、「内閣憲法改正草案」第1回審査委員会。          

沖縄中央政府創設。初代知事は、志喜屋孝信(しきやこうしん)。

長谷川町子の「サザエさん」、夕刊フクニチで連載開始。

幣原喜重郎、進歩党総裁に就任。          

東京都、緊急食糧として、こんにゃく1枚と凍り豆腐を配給。

主食遅配が深刻で、半月で飢餓状態と新聞に報道される。

人口調査による失業者数が発表される。完全失業者159万人、潜在失業者を含めると600万人を数える。

昭和19年9月以来中断していた、プロ野球公式戦が再開される。

GHQ、東条英機らA級戦犯28人の起訴状を発表。

メーデーが11年ぶりに復活(第17回メーデー開催)。宮城前広場に50万人が参集する。

広島・長崎で白血病患者出はじめる。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。東条英機ら28名が、A級戦犯として起訴される。  

ソ連軍、満州(中国東北部)撤退を完了。

新潟県村松町で大火。1000余戸が全焼。       

米軍、余剰食糧3374万ポンドの払い下げを発表。       

米陸軍参謀総長アイゼンハワーが厚木に到着。       

上野動物園で豚・鶏・家鴨分配の抽選を実施。       

「米よこせ」東京世田谷区民大会開催。宮城までデモ行進し、赤旗が初めて坂下門をくぐる。

GHQ、鉄鋼漁船の建造認可に関する覚書公布。

第90回臨時帝国議会が召集され、吉田茂に組閣命令。

GHQ、食糧危機打開のため化学肥料の増産を指令。

食糧メーデー(飯米獲得人民大会)開催。宮城前広場に25万人が参集。 このとき、デモ隊は「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」のプラカードを使用したことから「プラカード 事件」と呼ばれる。

中部 幾次郎他界。

マッカーサー、「暴民デモ許さず」と食糧メーデーに対する反対・禁止声明を出す。

第1次吉田茂内閣成立。

映画『はたちの青春(主演:幾野道子)』が封切られ、日本映画初のキスシーンが話題になる。

昭和天皇、敗戦時以来の「玉音放送」を行い、食糧危機に家族国家の伝統で対処するよう訴える。

千葉県習志野に「農耕隊」として派遣中の豊多摩刑務所の受刑者28人が集団脱走する。

東京都食糧危機打開本部、千葉県の農村に代表を派遣し、米1000俵を獲得。

枢密院、「内閣憲法改正草案」の審議を再開。 

15坪以上の住宅および店舗の新築・増築を禁止。

上野アメ横の露店街に武装警官500人が出動し、禁制品を摘発する。トラック16台分を押収。

早稲田大学、学生自治会が自治権を確立。学生自治会が自治権を確立したのは、これが初めて。

500

  1日      マッカーサー元帥、国民に試練突破を強調する声明。

         長谷川町子『サザエさん』第1巻刊行。          

         新聞の見出しが左横書きになる。

  4日      箱根駅伝が復活(5日、明大が総合優勝)。          

         国鉄、石炭不足で急行を全廃(~4月22日)。

  5日      東京上野駅地下道で凍死者続出のため、都が400坪の救済テント村建設に着手。

  7日      GHQ、中国からの150万人の引揚げ計画を完了と発表。

14日      釧路港に東京向けの木炭1500トンが船舶不足で山積みのまま、と新聞に。

15日      東京新宿の帝都座5階劇場で、初の額縁ヌードショーが開演される。       

16日      GHQ、占領軍将兵の日本人家庭訪問時限を午後11時までと指令。

20日      主要都市の国民学校で週2回の学校給食開始。

21日      新興宗教璽宇教の教祖璽光尊(じこうそん)と、幹部で元横綱の双葉山らが逮捕される。

         容疑は、食糧管理法違反(食糧隠匿容疑)。

22日      闇取締りで東海道線に武装警官が初警乗。

26日      日本優生結婚協会が、東京上野で初の連合見合いを開催。女性が男性の2.5倍。

27日      政府、新円の支払い枠を月700円に増額。

30日      東京上野の浮浪者20人、釧路の炭鉱に就職。

  1日      都内各駅に駅前広場を作る計画が決定。       

  2日      18歳未満の孤児、全国で12万3504人を数えると厚生省が発表する。

  8日      12坪以上の住宅新築・増改築が禁止される。       

  9日      警視庁、闇タバコの一斉取締りを開始。

10日      第92回帝国議会再開。   

         東京で「輪タク」が営業開始。2キロまで10円。

11日      ヒッチコック監督映画作品『断崖』封切される。          

         戦後初の南氷洋捕鯨船団の第1船(第三十二播州丸/マルハ)が、

         約340トンの鯨肉を積み帰還(東京港)。

         日本水産の橋立丸船団の捕獲頭数は、シロナガスクジラ換算(BWU)391.5単位、生産物は鯨

         油3700トン・鯨肉10608トンにとどまった。

         大洋漁業の「第一日新丸」はクワナーボイラー内部に材料を破砕するための刃を備えるなど相対

         的に優れた処理能力を有していたため、橋立丸船団より149BWU・生産物6千トンも多い成果を

         挙げている。

13日      運輸省、連合国払い下げのトラックなど1万7000台余の配分を決定。       

14日      東京都、条件つきで芋の買い出しを許可。       

15日      家督相続税が廃止。贈与税が新設される。          

         東京~荻窪間を「親子バス」が運行。 親子バスとは、米軍払い下げのトラックを改造し、後ろに

         エンジンの無い古いバスを連結したバス。 1949年にトレーラーバスが導入されるまで活躍し

         た。

18日      東京世田谷で女性が野犬に喰い殺される事件が発生。

22日      「男装の麗人・東洋のマタハリ」こと川島芳子、北平(現:北京)から南京へ護送。

25日      マッカーサー元帥、吉田茂宛に大逆罪の廃止に関する書簡。          

         埼玉県の八高線高麗川(こまがわ)駅付近で、満員の買い出し列車の客車4両が転覆。買い出しの

         乗客など184人が死亡、約800人が負傷する。事故の原因は、満員のためにカーブを曲がりきれ

         なかったことによる。

      ◯  二月 小笠原諸島近海捕鯨、第二次捕鯨

         大洋漁業 捕鯨母船に第16号輸送艦と第19号輸送艦を借りて出港。

         極洋捕鯨 捕鯨母船に第13号輸送艦を借りて出港。 

         日本水産は極洋捕鯨と母船共同という形で出港。

第二次マッカーサーライン
シロナガスクジラ換算

日新丸船団の第三十二播州丸が東京港に帰港)

第一日新丸

  1日      東京都に練馬区を新設し、東京都が23区制となる。

  2日      中学校用副読本『あたらしい憲法のはなし』・高校用副読本『民主主義の手引』発行。

  3日      鎌倉カーニバルが復活し320万人の人出。

  6日      広島市で初の平和式典挙行。

10日      大量放出で米の闇値下がる。1升200~250円が130~150円に。

13日      羽田飛行場で米機が墜落、日米7人が死傷。

14日      浅間山爆発。山火事で登山者11人が焼死。

17日      北海道空知地方の水害で水田冠水5998町歩、浸水3319戸と道庁発表。

21日      米領事館にGHQ将兵と日本人女性との結婚822組が届け出る、と新聞に。

22日      物価庁、鮮魚の公定価格を9割値上げ。闇にまわって市場に出ない魚の入荷をふやすため。

23日      日本製タバコの注文が海外から殺到と新聞に。

25日      黒字家庭は1割、「朝日新聞」の世論調査発表。

28日      都営住宅抽選。募集351戸に約6万人が殺到。

31日      国連原子力委員会、広島・長崎の放射能による遺伝的影響につき、長期にわたり調査を行うと発

         表。

  1日      NHK「向う三軒両隣り」放送開始。

  2日      東京都、価格高騰理由に青果のせり売りを禁止。

         GHQ より、第二天洋丸建造許可の指令を受ける       

  3日      国務相、潜在合わせ失業者800万人と答弁。         

         GHQ、三井物産と三菱商事の徹底的解体を指令。

  4日      日本初の『経済白書』発表。副題は「財政も企業も家計も赤字」。

  5日      1800円ベースの新物価体系発表。          

         食糧危機対策で、外食券食堂などをのぞき全国33万軒の飲食店が休業。 これ以後、裏口営業さ

         かんになる。

  6日      対米英ソ中賠償用の旧海軍艦艇36隻出港。       

  7日      国鉄運賃3.5倍に値上げ。私鉄も値上げ。

11日      東京都の消費者物価は敗戦時の4.3倍と新聞に。

15日      地質学者の水上武、浅間山の大爆発を予測。

17日      食糧事情悪化。東京の配給の遅れは月末に25日分、秋には40日分になる勢い、と新聞に。

19日      東京都引揚者団体連合会、旧陸軍技術研究所の空家500棟を占拠。

21日      銅像追放第1号として、「軍神」広瀬武夫像を撤去。

22日      旧陸軍技術研究所の空家を引揚げ者へ開放。

23日      隠匿物資摘発を種に恐喝した経済安定本部調査官を前橋地検が検挙。       

24日      東京都、主食欠配の補給に佃煮を配給。       

25日      平野力三ら日農脱退派が全国農民組合結成。       

26日      東京で集団食中毒続発。3日で487人が被害。       

27日      鎌倉13万人、片瀬海岸20万人の記録的人出。

29日      東京築地の小料理屋などが銀座で生活資金獲得売り立て会を開き、商売道具を売る。 

  1日      昭和天皇、宮城(皇居)内を通行中に日本人記者と初会見。

         山形県酒田市の東京裁判出張法廷で、石原莞爾(かんじ)が証言台に。

         石原莞爾はこの法廷で「自分が戦犯でないのは納得できない」と発言。

  3日      日本国憲法施行。

  5日      中央線などに女性・子ども専用車両が登場。

  8日      GHQ、食糧15万トンの放出を許可。これにより、5月は遅配なしの見こみがたつ。

10日      隅田川に「ポンポン蒸気船」が復活、と新聞に。

12日      取締り強化および値下げ運動強化などの影響で、闇値に初めて下落の傾向が出ている、と新聞

         に。

18日      第1次吉田茂内閣総辞職し、特別国会召集。

21日      GHQ、日本の呼称として「帝国」の使用を禁止する。

22日      配給大豆粉の下痢をしない調理法が新聞に。

24日      飲食店業界代表ら、警視庁と会見。「闇物資徹底取締り」は「非現実的」と主張。

26日      阿蘇山が14年ぶりに大噴火。          

         甲府の銀行が、遅くて高い郵便をやめて東京まで飛脚(ひきゃく)を利用、と新聞に。

  1日      片山哲内閣成立。

         初診料が無料となり、保険料率も引き下げられる。       

  2日      北海道では配給が全道で一ヵ月遅配と新聞に。       

  3日      文部省、学校における宮城遥拝(ようはい)・天皇陛下万歳・天皇の神格化的表現の停止などを通

         達。

12日      GHQ、財閥の最高機構は完全に解体されたと発表。

22日      学生のアルバイトは「三角くじ売り」や「本売り」が主流

24日      米国アイダホ州上空で、空飛ぶ円盤が目撃される。初のUFO報告。

27日      食糧事情悪化のため欠席がふえている東京都の小・中学校で、夏休みの繰り上げを決定。

28日      水不足のため、関東地区で一般工場の休電が週1回から2回に増える。

30日      新潟県、28日からの集中豪雨により、田畑4万7100町歩が冠水する。

  1日      NHK、「配給だより」の放送を開始する。

         国鉄、旅客運賃25%値上げ。東京~大阪間で三等が45円に。私鉄は旅客3.5倍の値上げ。

  6日      東京では米の配給が平均13日の遅れで、さらに悪化する傾向と新聞に。

10日      モスクワで4ヵ国(米、英、仏、ソ)外相会議開催。          

         対独講和問題で米・ソの対立が表面化し、決裂。

11日      東洋レーヨン、国産ペニシリンの量産を開始。

13日      少年少女の家出が敗戦直後の20倍と新聞に。

16日      給食費15円が払えず、給食を食べない児童がいると朝日新聞「声」欄に投書がある。

17日      都内23駅で発疹チフスの予防注射を開始する。

20日      列車持ちこみ荷物の全国一斉取締り開始。千葉県松戸駅では米50余俵が押収される。

22日      日本鳥学会、キジを日本の国鳥に選定する。

         マッカーサー元帥、吉田茂宛書簡で、食糧危機克服のための経済安定本部による総合処理の必要

           性を勧告。

26日      鉄道弘済会、大阪駅で貸し腰かけの営業開始。

31日      第1回農地買収が実施される。対象農地は、11万7424ヘクタール。

  1日      6・3制や男女共学を基本とする新学制の開始により、小学校・中学校発足。  町内会・部落

         会・隣組制度が廃止される。          

         上越線高崎~水上間に戦後初の国鉄電化区間が開通。          

         森川信一座が浪花座で関西初のヌード公演。

10日      東京中野市場で貨物車3台分の闇物資が押収される。

13日      カフェー女給千数百人が「トーキョー・ウエイトレス・ユニオン」を組織し、月給制実現と新聞

         に。

15日      日本サイクリング協会設立。

17日      地方自治法公布。          

         雑誌を六四ページに制限するなど、用紙割当を強化。

18日      日本国憲法施行の際に現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律公布。  

         デベラル課長、反共労働者教育の必要性についてコメント。          

         駅弁値上げ。これにより、普通弁当5円・鉄道パン2円となる。

20日      第1回参議院議員選挙実施 (社会党47議席で第一党) 。         

         飯田市で大火、市街地の8割に相当する4110戸が焼失する。罹災者(りさいしゃ)は約1万8000

         人。       

21日      この日発表の『GHQ占領報告』によれば、1月の円・ドル実勢レートは100対1。

29日      茨城県那珂湊町で大火、1500戸が焼失。

      ◯  当用漢字・現代仮名づかいによる国定教科書の使用が始まる。

      ◯  魚不足に悩む都民のために宮城(皇居)外堀での釣りが約70年ぶりに解禁となる。

      ◯  小笠原諸島周辺第二次捕鯨終了

            大洋漁業 

            座頭鯨1、鰯鯨101、抹香鯨115:合計217頭

            極洋捕鯨と日本水産

            白長須鯨1、長須鯨1、座頭鯨28、鰯鯨150、抹香鯨195:合計375頭

  1日      東芝全労組、ゼネストに突入(~11月24日)。産別会議指導の10月闘争はじまる。

         米国務省、「降伏後の日本の政治指導者の展望」発表。

         ニュルンベルク国際軍事裁判で判決。ゲーリングやリッベントロップら12人が絞首刑。16日に

         刑が執行された。          

         B・クロスビー主演作品「我が道を往く」封切。          

         名古屋で復興祭を開催。       

  2日      生産者米価1石550円、消費者米価450円と閣議決定。

  3日      メチルアルコール中毒死が増加し、年1557人と新聞発表。       

  4日      詐取した外食券の闇売りで懲役3年の判決。       

  5日      NHKでストライキ突入。新聞ストは挫折。

  7日      衆議院、書院回付案を再可決。これにより、日本国憲法が帝国議会で可決成立。

  8日      復興金融金庫法公布。復金インフレはじまる。

  9日      国民学校での男女共学が自由になる。

13日      浅草が戦後最高40万人の人出でにぎわう。

19日      子どもにデモ遊び・泥棒ごっこ流行と新聞に。

27日      上野動物園、子ウサギ1000羽を売り出す。

  1日      主食の配給が2合5勺に増配される。

  3日      日本国憲法公布 (施行は翌年5月3日)。

  6日      レイテ島に2000人が生存と判明。

  7日      南氷洋捕鯨の先陣として、日本水産の橋立丸船団第1次南氷洋捕

         鯨(1946/47年漁期)へ向けて大阪港から出港。同行船はキャッ

         チャーボート5隻と鯨肉を持ち帰るための塩蔵工船「多度津丸」鯨

         油中積用のタンカー「さんぢゑご丸」(大洋漁業と共同運航)。

10日      石炭不足で旅客列車を16%削減。

11日      復興院、住宅難緩和のために大邸宅の強制開放を通達。

12日      東京築地署、幽霊人口100人をねつ造し米を不正に受給した土木飯場の8人を検挙。

17日      家庭への昼間送電一時停止など、電力制限を強化。

18日      大洋漁業の第一日新丸が、天洋丸のほか冷凍運搬船1隻、キャッチャーボート5隻と船団を組

         み、戦後における捕鯨再開の第一陣として、長崎港から一路南氷洋へと出港。

22日      GHQ、学校給食用に日本陸軍貯蔵食肉5000トンを供給と発表。

26日      三井・岩崎など10大財閥の全資産を持株会社整理委員会に移管。           

         これにより、10財閥の家族の資産凍結措置を指令。       

27日      都区整理委、35区を22区に統合と決定。

30日      ミルク・衣類など「ララ物資」第1便450トンが横浜港に到着。

  1日      全教組支持の全国父兄大会開催。1万人が参加する。         

         憲法普及会発足。

  2日      内務省、特殊飲食店の指定を指示。国際捕鯨取締条約(日本は参加できなかった)

         東京都民に正月用の餅米1人1キロを配給することが決定される。

  5日      樺太(サハリン)からの引揚げ第1船「雲仙丸」が函館港に入港する。

  8日      シベリアからの引揚げ第1船が舞鶴港へ入港。

11日      東京秋葉原に「模範神田小売り市場」開店。

20日      商工省、都市ガス使用を1日1時間に制限。

21日      近畿・四国中心に大地震(南海道大地震)発生。死者1330人、行方不明113人、全半壊3万戸の

         被害が出る。

26日      GHQ、対日理事会(ACJ)ソ連代表と日本人の引き揚げについての協定に調印。          この協定により、GHQはソ連抑留者帰国数を月5万人と発表。�GHQ、対日理事会(ACJ)

28日      沼津駅周辺で一斉闇取締りを実施。1000余人が検挙される。

         燃料不足で運行半減の東急バスが「お急ぎの方はお歩きください」という看板を掲げたと新聞発          表。

  1日      日本勧業銀行、宝くじ部を開設。

         外務省、占領軍家庭のメイド養成所を東京麹町に開設。

         第1期生100人が、帝国ホテルの協力で1ヶ月間にわたり、英会話・米国式家事などを学ぶ。

  5日      上野駅で戦災孤児の「狩りこみ」を実施。50人が保護される。

  6日      GHQ、大洋漁業㈱、日本水産㈱に南氷洋での母船式捕鯨を認可する。 

         自動車・石油など13の統制会の解散・関係法令の廃止・新たな統制機関の設立指令。

15日      吉田茂首相、NHKラジオで「戦争を放棄する格好の機会」と発言。

21日      GHQ、輸入大豆による味噌などの配給を指示。

25日      東京で青果・魚介の闇市取締りが始まる。

28日      性病対策に初の全国一斉街娼取締りを実施。

30日      東京中野で配給小麦による中毒事件発生。 中毒約5000人・重症50人。原因は原麦の赤カビ病と

         推定されている。

      ◯  日本水産、特別経理会社に指定。

  1日      所得税増税で所得30万円超は「税率97%」となる。

  2日      弁当を持参できない生徒のために、1日だけの給食を実施する。

         GHQ放出の小麦粉によるコッペパンが、全国の児童に配給された。

         接待所などの転換に関する通達に基づき、集娼地域を警察の監視下に置く「赤線地帯」が成立。

  3日      「満州」の第1次引揚げ孤児が佐世保に入港。

  4日      探検家白瀬矗(のぶ)死去。享年85歳。

16日      茨城県の病院で、ヘロイン7000万ドル分発見。

18日      沖縄県民の本土からの引き揚げ指令

         厚生省、年末までの失業者を560万人と推定。          

21日      警視庁、戦後最大規模の「不良狩り」を行う。

22日      羽越本線坂町駅で買い出しの50人が警官と乱闘。警官20人負傷。14人が検挙された。

23日      復員庁など、集計の結果として海外残留者数を207万人と発表。

28日      電球・蝋燭(ろうそく)の配給、好転のきざしなしと新聞に。

30日      三井・三菱・安田、正式解散を決定。

  1日      戦災復興院、住宅緊急措置令を公布して余裕のある住宅に戦災者の同居を義務づける。

         軍人・軍属の恩給・年金・退職手当金等の支給停止指令。

 3日      東宝、「第1期ニューフェース」を募集・審査。久我美子・三船敏郎などを採用。

 4日      極東委員会(FEC)、天皇制の存否に関して初めて討議に入る。          

         子どもを使った菜園荒らしが頻発。5月だけで4000余件の被害があったことが新聞発表され

         る。

 6日      農林省、月10日間の「食糧休暇」を公認。

11日      山形・秋田・新潟に豪雨。2000町歩余が冠水する。

12日      「ルパン」を名のる連続強盗・窃盗団の1人を逮捕。

14日      文部省、食糧危機打開のため、夏休み短縮を決定

22日      GHQ、米国など戦勝国の漁業に悪影響を与えないよう制限をしていた日本の漁業水域を拡張。          食料確保のため、捕鯨操業区域の拡張を許可。(第2次マッカーサー・ライン)

24日      GHQ、京浜地区に米麦2万2000トン配給。

26日      衆議院、憲法改正第一読会を実施。

         吉田茂首相、改正憲法9条は「自衛戦争も放棄」と言明。

  1日      「尋ね人」の放送開始。

         米国、南太平洋ビキニ環礁で戦後初の原爆実験。クロスロード作戦

        (21キロトン級原子爆弾2つのうちの一つであるエイブル)、高度

         158mで爆発。

  4日      米国独立祭の一環で、米軍歩兵部隊が皇居前から銀座経由で帝国ホテ

         ル前までをパレード。 

  6日      国名を「大日本帝国」から「日本国」へ改称する。

  8日      東京でカマボコによる中毒が発生し、11日までに1600人が被害。

  9日      専売局、8月より女性にもタバコの配給を開始することを発表。

12日      中国大陸では、全面的な国共内戦に突入する。

         警視庁、女性不良団「血桜組」38人を検挙。

18日      「食いつなぎ疎開」の旅費のため、封鎖預金から1000円まで引き出し自由となる。

19日      東京で「マッカーサー元帥に感謝する盆踊り」開催。

24日      国鉄、13万人弱の人員整理を組合に通知。

25日      郵便料金値上げ。これにより、はがき15銭となり、これは従来の3倍の料金に相当。

         米国による人類5度目の核爆発。クロスロード作戦二発目のベーカーが水深27mで爆発。

26日      東京裁判で、南京大虐殺事件(南京事件)の被害者が証言。

       ◯ この月、戦災孤児や引揚げ孤児などの「家なき子」が増加する。

       ◯ GHQの琉球・小笠原の分離統治決定で、非日本人として扱われることに沖縄人連盟が抗議デ

         モ。 

  1日      労働省発足し、山川菊栄が初代婦人少年局長に任命される。          

         GHQの指令で「ラジオ体操」が中止される。

  2日      北海道開拓者の花嫁候補11人が集団お見合い。

  3日      東京井の頭公園で米軍投下不発爆弾が爆発。

  7日      日曜日に初の電力制限。一般家庭への送電を半減、工場へは全面停止。

  9日      値上げで客減少の東京の銭湯が、1円値下げして大人3円とすることを決定。

10日      物価庁、マッチ・化粧品・歯磨きを値上げ。       

13日      音楽・体育など4科でレコード教育と新聞に。       

14日      キャスリーン台風が関東地方に襲来。1都6県、100以上の市町村が濁流にのまれる。

         死者1077人、行方不明853人。

         その後台風は、東北地方へ移動し、16日まで猛威を振るった。

16日      GHQ、連合国への賠償として陸海軍工廠(こうしょう)17工場の機械1万9561点を指定。

18日      GHQ、給食用粉ミルク4714トンを放出。

19日      戦災復興院、水害地復旧のため臨時建築制限規則を撤廃。木材の配給などを決定。  

20日      水害で交通途絶の東京~千葉間に臨時航路。

23日      水害の葛飾区で5万人が飢餓状態、と新聞に。          

         食糧不足のため、この年から水田となっていた東京上野の不忍池で、稲の刈り入れ。 不忍池は重

         要な食糧生産地とされ、稲作の他にも、冬には麦作を実施した。 池として復活するのは、1950

         年のこと。

24日      GHQ、小型鉄鋼輸送船15隻の建造を許可。

27日      原節子主演「安城家の舞踏会」封切。       

28日      初のサンフランシスコ~東京直航便(パン・アメリカン航空運行便)が羽田着。

30日      民間貿易第1船が米国へ向けて横浜港を出港する。

         積み荷は、クリスマス用豆電球、陶器、浅草海苔など。

  1日      第6回国勢調査実施。           

         調査の結果、総人口7810万1473人。東京都500万7771人。大阪府333万4659人。     

         衣料の切符制が復活。果物は自由販売に。

  2日      5年ぶりの砂糖の一般配給が決まる。年内には子どものない家庭にも本物の砂糖。

10日      電球が1世帯につき1個ずつ配給される。

11日      山口良忠東京地裁判事、配給生活を守り栄養失調で死亡。

13日      秩父・高松・三笠の3直営宮家を除く山科家など11宮家51人が皇籍を離籍する。

15日      高知県室戸町で、漂着機雷が処理中に爆発。30数人が爆死・行方不明。

19日      袋かけ用の紙が不足している青森のリンゴ農家が、古新聞送ればリンゴを返送と新聞に。

20日      山形県尾花沢町で、米の供出取締りに抗議し、30人が派出所を襲撃する。

21日      国家公務員法公布。公務員を「公僕」と規定し、国家公務員の団体行動などを制約する。

22日      米軍、主食供出の報奨に軍靴を贈ると発表。          

         中国河北省高等法院、「男装の麗人・東洋のマタハリ」こと川島芳子に死刑判決。

         第三天洋丸進水

25日      警視庁、夜間非常警戒を実施し、一晩で強盗など161人を現行犯逮捕。

27日      果物など132品目の公定価格廃止。

29日      GHQ、戦争設備となる全機械の破壊を命令。

31日      米議会合同委、終戦以来の米国の救済援助額は190億ドル以上と発表。うち日本は七億ドル弱。

  1日      NHK、クイズ番組「二十の扉」放送開始。       

  2日      経済安定本部の「支出モデル」が新聞に。内容は、月1800円の「基準生活費」で暮らすための

         支出プラン。 酒は月一合までとされた。

  5日      警視庁、生活費の75パーセントで闇物資が購入されていると発表。

  9日      東京後楽園球場の「モク拾い」、1日300本拾って月収3000円の内職、と新聞に。

11日      米第八軍司令官、「日本は米国の防壁」と演説。

14日      倉敷天文台の本田実、新彗星(本田彗星)を発見する。

17日      外務省、海外残留邦人は82万人余、うち約74万5000人がソ連地区と発表。

18日      岡山県津山税務署で、給料だけでは生活不可能と全員が辞表を提出。

21日      都燃料対策連合協、1世帯当たり1俵の炭の年内確保または買い出し許可を要求。

24日      水不足で電力事情最悪となる。関東地方は米軍施設などのぞき、全地区の送電を停止。

27日      日産、普通乗用車「ダットサン・スタンダード・セダン」を発売。価格は16万円。

29日      国連総会、「パレスチナ3分割案」を採択。

30日      前日の雨で電力事情好転、配電制限が緩和される。          

         歌舞伎の上演禁止が解除され、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言が東京劇場で興行される。

  1日      特等100万円の宝くじ発売。1枚50円。

  5日      「顔役」追放の効果もあり、学生の露店が盛況となる。稼ぎは平均5000円、と新聞に。

  6日      酒類の自由販売開始(清酒1級1升550円)。

         第二天洋丸南氷洋へ出港

10日      東京都、上野駅地下道の浮浪者1000余人を収容。       

11日      南北アメリカに在住の日系人150万人が、日本救援に30万ドルの義援金と新聞に。

13日      社会党左派、党内野党化を声明。          

         キューバ産砂糖を積んだ輸入第1船が横浜入港。武装警官81人などが出動し、厳重警戒にあた

         る。

15日      太宰治『斜陽』刊行。

16日      カーテンなど室内装飾用織物の製造を禁止。       

17日      警察法公布。警察の地方分権化と民主化をうたう。

18日      過度経済力集中排除法公布。

         大阪市で市民の「隠退蔵物資摘発隊」300人が住友金属の工場に押しかけ乱闘となる。   

19日      タバコ、平均2.5倍の値上げ。配給用から自由販売用になった「光」は12.5倍に。

20日      「臨時石炭鉱業管理法(炭鉱国家管理法)」公布。これにより炭鉱は国家管理となる。

         第三天洋丸引渡し

21日      都が正月用の砂糖を1人10匁(もんめ)配給と新聞に。      

22日      改正民法公布。結婚の自由や男女平等を規定。これにより「家制度」廃止。

         第三天洋丸直に南氷洋に向け、神戸港を出港。

26日      東京で、メッセンジャー・椅子貸し業・税金値切り屋など新商売が繁盛、と新聞に。

27日      GHQ、新年の日の丸掲揚を許可する。       

28日      戦後初の外国人観光客を乗せ、世界一周の米客船「プレジデント・モンロー号」が横浜に入

         港。

29日      出生届の人名が当用漢字に限定される。          

         広島県因ノ島(いんのしま)で貨客船転覆。38人死亡。       

30日      池部良主演「春の饗宴」封切。           

         笠置シズ子の歌う主題歌「東京ブギウギ」が大ヒットとなる。       

         内務省廃止。

       ◯ 昭和22年 大洋漁業の第一日新丸と日本水産の橋立丸に二号二型電波探信儀を装備

       ◯ 昭和23年(1948)2月日本水産が過度経済力集中排除法の指定会社となった。

7月

11月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

 

12月

昭和22年(1947年)

1月

2月

3月

4月

8月

5月

6月

9月

10月

12月

と、いろいろ調べておりましたら、丸山シチュウジ(司厨長)撮影の第三天洋丸の写真を息子さんから紹介されました。

 一番初めに頭に浮かんだのが「やはり白線がない」でしたが、貴重な資料のおかげで、白線入りの方がおやじの勘違いであるとハッキリしましたね。

 はて、白線入りの中積船は何なのだろう。長い旅になりそう。

カメラ・写真 丸山正志 自分勝手なホームページ

       http://qvf04120.wix.com/jp1ttr

       (特別編)親父のアルバム

       http://qvf04120.wix.com/jp1ttr#!grid/c1abh

 数時間後、丸山さんから連絡をいただき、送っていただいた写真を見ると仰天!第二天洋丸って書いてるじゃないの。

 という事は、私が知っていた第二天洋丸の写真は改名前の「大橘丸」だったのかも知れません。

 何はともあれ、これでスッキリしました。

 写真は「南氷洋だより」からです。

 

  ↑

第二天洋丸

 

←左の写真が初代天洋丸

 

右の写真が第三天洋丸→

玉音放送2

玉音放送

マッカーサーラインについては、資料によって位置情報が違うので、ここでは函館市史デジタル版からご紹介します。

マッカーサーライン

厚木動画

マッカーサー厚木到着

五百円動画

生活費500円前編

生活費500円後編

昭和20年8月15日

 玉音放送

 

昭和20年8月30日

 マッカーサー厚木基地到着

 

昭和20年11月30日 

 第一次マッカーサーライン

 

昭和21年3月3日

 生活費は500円

 

昭和21年6月11日

 第二次マッカーサーライン

中積船

その他の中積船

冷凍工船 

 塩蔵工船が塩漬け肉に加工した鯨肉を冷凍保存する冷凍冷蔵庫設備を備えた船。

 塩蔵/冷凍工船は、日本を始め、鯨肉を大量に消費する文化のある国が保有したもので、鯨油のみを目的として捕鯨を行っていた国では存在しない船種である。後には塩蔵と冷凍保存の両方が1隻で行える船が主流となった。

 

広洋丸 KOYO MARU (1955)

73421/JHVK 冷凍工船 7,651G/T 8,178D/W
起工 1954.11.__(昭29) 進水 1955.2.__(昭30) 竣工 1955.4.__(昭30)
Lpp 130.30 B 18.20 D 10.00 m 主機 D 三菱神戸Sulzer 7SD72/125 5,000PS 1基 14/14.5kt
三菱造船株式会社広島造船所(広島)建造 Sno.121 大洋漁業株式会社(東京) 

 

地洋丸 CHIYO MARU (1957)

76785/JHKF 冷凍工船 7,194G/T 9,106D/W
起工 1956.8.__(昭31) 進水 1957.2.__(昭32) 竣工 1957.4.18(昭32)
Lpp 131.05 B 18.90 D 9.50 m 主機 D 川崎M.A.N. K7Z70/120A 5,600PS 1基 14/16.55kt
佐世保船舶工業株式会社(佐世保)建造 Sno.115 大洋漁業株式会社(東京) 

 

仁洋丸 JINYO MARU (1958)

81039/JKBM 冷凍工船 7,161G/T 9,072D/W
起工 1957.10.__(昭32) 進水 1958.2.__(昭33) 竣工 1958.4.__(昭33)
Lpp 131.05 B 18.90 D 9.50 m 主機 D 林兼 8CT 5,000PS 1基 14/15.8kt
佐世保船舶工業株式会社(佐世保)建造 Sno.125 大洋漁業株式会社(東京) 
1958.4(昭33)北海道漁業公社(札幌)と共有

 

壮洋丸 SOYO MARU (1960)

84707/JMFX 冷凍工船 11,192G/T 11,667D/W
起工 1959.9.__(昭34) 進水 1960.1.__(昭35) 竣工 1960.3.__(昭35)
Lpp 142.90 B 20.70 D 13.30 m 主機 D 浦賀Sulzer 7RSAD76 9,100PS 1基 15.2/17.8kt
佐世保船舶工業株式会社(佐世保)建造 大洋漁業株式会社(東京) 

 

第二播州丸 BANSHU MARU No.2 (1954)

71801/JEOI 冷凍/冷蔵運搬船 1,246G/T 1,535D/W
起工 1954.2.10(昭29) 進水 1954.3.26(昭29) 竣工 1954.5.10(昭29)
Lpp 70.00 B 10.80 D 5.50 m 主機 D 新潟鉄工 1,200PS 1基 10.8/13.5kt
川崎重工業株式会社(神戸)建造 Sno.934 大洋漁業株式会社(東京) 
第二播州丸 Banshu Maru No.2 冷凍運搬船

 

優洋丸 YUYO MARU (1961)

87502/JCCF 冷凍工船 5,043G/T 5,990D/W
起工 1961.1.__(昭36) 進水 1961.3.__(昭36) 竣工 1961.5.__(昭36)
Lpp 110.00 B 16.50 D 9.65 m 主機 D 神戸発動機 -三菱長崎7UEC52/105 4,400PS 1基 14/16kt
林兼造船株式会社(長崎)建造 Sno.958 大洋漁業株式会社(東京) 

 

油槽船

 捕鯨工船で生産された鯨油を輸送するための船で、タンカーの一種。往路では重油やディーゼル油を搭載して船団を構成する各船への補給を行い、復路では生産した鯨油を積載する例が多い。また、食料や各種生活物資を搭載した船団への補給船としても用いられた。

 日本の戦後南氷洋捕鯨では、往路の途中で船団へ燃料を補給した後は船団を離れ、中東地域で船舶用燃料を積み込んだ後に南氷洋で合流して再び船団に燃料を補給、生産された鯨油を積み込んで輸出先である欧米に鯨油を輸送した後に再び中東地域に寄港して日本向け原油を積載、日本への帰路に着き、原油の荷降ろし後に次の船団に随行する、というローテーションで運用され、その業務の性格から「中積油槽船」と呼ばれた。

 

天洋丸 TENYO MARU (1946)

55696/JJXJ 油槽船 9,958G/T 起工 1944.12.3(昭19) 進水 1945.5.16(昭20) 竣工 1946.10.15(昭21)
Lpp 150.00 B 20.40 D 12.00 m 主機 T 三菱衝動式2段減速 4,400HP 15.403kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.982 3TL型 石原汽船株式会社(東京) 
ひらど丸 Hirado Maru 
1946.10.15(昭21)大洋漁業(東京)に売却、天洋丸 TENYO MARU と改名。1351番船として完成。鯨肉運搬船に改造
1968(昭43)解体のため三菱商事(東京)に売却

 

兼洋丸 KENYO MARU (1958)

80397/JMKY 油槽船 13,154G/T 20,915D/W
起工 1957.6.__(昭32) 進水 1957.11.__(昭32) 竣工 1958.2.15(昭33)
Lpp 167.00 B 22.00 D 12.00 m 主機 D 三菱横浜M.A.N. K7Z78/140C 9,500PS 1基 15/16.52kt
佐世保船舶工業株式会社(佐世保)建造 Sno.120 大洋漁業株式会社(東京) 
兼洋丸 Kenyo Maru 
1958.2.15(昭33)佐世保船舶興業(佐世保)と共有

第二播州丸

日新丸から天洋丸へ

神戸ドック

船の窓はなぜ丸い?

白長須鯨 2

新潟県村松町で大火。1000余戸が全焼。

米軍、余剰食糧3374万ポンドの払い下げを発表。

米陸軍参謀総長アイゼンハワーが厚木に到着。

上野動物園で豚・鶏・家鴨分配の抽選を実施。       

「米よこせ」東京世田谷区民大会開催。宮城までデモ行進し、赤旗が初めて坂下門をくぐる。

GHQ、鉄鋼漁船の建造認可に関する覚書公布。鋼鉄製漁船416隻の建造を許可する。

第90回臨時帝国議会が召集され、吉田茂に組閣命令。

GHQ、食糧危機打開のため化学肥料の増産を指令。

食糧メーデー(飯米獲得人民大会)開催。宮城前広場に25万人が参集。 このとき、デモ隊は「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」のプラカードを使用したことから「プラカード 事件」と呼ばれる。

中部 幾次郎他界。

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