お や じ の ア ル バ ム

日新丸
ヘリポートがないので昭和26年〜27年の日新丸です。
おやじの書き込みによると、
母船日新丸
船尾にある浮流中の鯨は長須くじら
全長230米
巾23米
高さ(海面から)9米
人員約400人
シャープレス機、K.V.11台、H,M,3台、デラバル1室、
デカンター1室、ポンプ1室外
wikipediaによると
初代日新丸は1936年に建造され、1944年(昭和19年)5月6日にアメリカ潜水艦クレヴァルの雷撃を受け沈没したとあるので、昭和28年のこの日新丸は1951年(昭和26年)9月30日川崎重工業にて竣工された二代目日新丸かもしれない。
ただ、そうだとすると全長が175.0メートルなんですよね~、はて?
多分おやじの誤りだろうと思われます^^
このアルバム自体、随分後に作られたようなので、他の日新丸と勘違いしてそうです。
初代 日新丸
1936年(昭和11年)川崎造船にて建造。国産初の捕鯨母船。
1944年(昭和19年)5月6日にアメリカ潜水艦クレヴァルの雷撃を受け沈没。
船 主:大洋漁業
総トン数:16764トン
全 長:163.07メートル
全 幅:22.56メートル
喫 水:14.86メートル
Nisshin_Maru_(1936).jpg/Wikimedia Commons
初代 第二日新丸
1937年(昭和12年)川崎造船にて建造、1943年4月17日、石垣島白保崎南方海上において雷撃を受け大破、基隆に曳航され、同年の11月30日に廃船にされた。
総トン数 17,553トン
Nisshin_Maru_(1937).jpg/Wikimedia Commons

第一日新丸(のちの綿城丸)
三菱重工業長崎造船所で原爆に遭い放置されていた大阪商船の3LT船大攬丸(だいらん丸)を購入、改造し1946年(昭和21年)10月15日に捕鯨母船(第1350番船)として完成。第一日新丸 NISSHIN MARU No.1 と改名し、同年11
月18日戦後第一次南氷洋捕鯨に長崎より出港。
1948年(昭和23年)8月、主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装。
1951年(昭和26年)6月11日に油槽船に改造し錦城丸と改名。B.V.船級取得改造工事。タンカーとして活躍する。
1954年(昭和29年)4月30日再度、川崎重工業(神戸)で捕鯨母船に改造。
1958年(昭和33年)10月、主機をD 川崎M.A.N.K9Z 70/120C 8000BHPに換装。
1965年(昭和40年)3月に不稼動船となり、解体のため売却しのちに大阪で解体された。
総トン数:11781トン
全 長:150.8メートル
全 幅:20.4メートル
喫 水:12.0メートル
日新丸 Nisshin Maru (1951) / 大洋漁業株式会社 Taiyo Gyogyo K. K.

二代目 日新丸
67661/JCMC 鯨工船 16,810G/T 22,993D/W
起工 1950.10.19(昭25) 進水 1951.6.21(昭26) 竣工 1951.9.30(昭26)
Lpp 175.00 B 23.40 D 12.62 m 主機 D 川崎M.A.N. D7Z72/120R 10,060PS 1基 13/14kt
川崎重工業株式会社艦船工場(神戸)建造 Sno.910 大洋漁業株式会社(東京)
日新丸 NISSHIN MARU SCAJAP No.N132
1971(昭46)油槽船(鯨油)に改造
1973.4(昭48)中国に売却
1981(昭56)在籍

二代目 第二日新丸
1937:ユニタス号(ドイツのブレーメンAGヴェーザー造船所)
1950(昭25)ユニオン・ホエーリング社に売却、ABRAHAM LARSENと改名(南ア籍)
1957.5(昭32)大洋漁業(東京)に船団を売却、本船は同年11月、第二日新丸 NISSHIN MARU No.2 と改名 (神戸)
1958.6(昭33)主機をD 林兼 5000PS x 2 に換装
1966(昭41)鯨工船として最後の南氷洋から帰国
1967(昭42)魚の加工工場として使用され、1987年に台湾で廃船 。
長さ193.5m( LOA )183.6m( LPP )
幅24.5m
Abraham Larsen
第三日新丸
1947年にスウェーデンのGotaverken Cityvarvetで造船され、コスモスIII(18047 トン)と命名された。
昭和36年(1961年)、綿城丸の代替のために買収したノルウェーの「コススモスⅢ世」を第三日新丸と改名される。
IMO number:5253494
総トン数:23407トン
全長:194m
幅:24m


勇魚バックナンバー Dec. 2005 No.32
1976年(昭和51年)には水産会社ごとの操業は断念されて日本共同捕鯨株式会社に統合された。ここで第三日新丸の煙突に掲げられていた「マルは」のファンネルマークがかわります。
1987年03月14日。第三日新丸船団が南氷洋より最後の商業捕鯨から帰港することになった。
私の記憶によれば、おやじは第三日新丸まで乗り、マルハの後の共同捕鯨に参加していました。

調査母船・日新丸
三代目 日新丸
第三日新丸の代替として日本水産のトロール船「筑前丸」を日立造船因島工場で改造した。これまでの船と比べるとかなり小型である。日本鯨類研究所に傭船され、調査捕鯨の調査母船として運用されている。
同船は、アメリカ合衆国からの商業捕鯨撤退の交換条件として出された遠洋漁業に使用するために建造された船である。しかしアメリカはパックウッド・マグナソン法を制定し、代替の遠洋漁業の認可さえも取り消した。こうして行き場を失っていた同船を共同船舶が買い上げ改造した。
主要諸元
船主 共同船舶
改造 日立造船因島工場
総トン数:8030トン
全 長:129.58メートル
全 幅:19.4メートル
喫 水:11.7メートル
機 関:7320馬力
最大速力:17.49ノット
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タンカー
捕鯨母船

文丸と利丸
二代目第二日新丸
相馬貞男捕鯨一年生
ズック
昭和33年の自動車
神戸ドック
第三日新丸とタンカー
長浦港に16Tがいた
丸山シチュウジ作
ペンギン
日新丸
田浦港にて