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二代目日新丸 入港式準備完了

おやじメモより

 入港を前に作業を急ぐ解剖諸君

 いよいよ入港が近づいているようですね。あと数日か。
 捕鯨母船だからといって、くじらの処理だけしていればいいというものではないらしい。もしかすると、俎板を解体しているのかも知れませんね。通常の甲板に戻してから入港するのでしょう。

 昭和29年4月、二代目日新丸、第8次南氷洋捕鯨が間もなく終了。

 クジラの肉を焼き鳥にするって、面白い表現ですね。一口サイズの鯨肉を串に刺していたのでしょうか。どうやら製油課のメンバーが担当だったようです。
 そういえば、退職後に焼き鳥屋をやりたいと言ってましたっけ。やらなかったけどね^^ おかげで家の中には使わないトイレと小さな店舗にするつもりで作った部屋があり、どちらも丁度いい物置になっています。

 そして、入港式全体の献立を決めていたのは、丸山シチュウジ(司厨長)だったかも知れません。(後の第三日新丸では同じでした。)

 昭和29年といえば 3月1日。ビキニ環礁で行なわれた米国の水爆実験で、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ約1,000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した。各国の捕鯨船団は、まだ南氷洋にいたと思われるが、復路はどの航路を使ったのだろう。

おやじメモより

 入港式完備 日新丸 
 ドヤドヤ乗船する 家族者は大きく広い日新丸へ、父、兄、我が子と懐かしい会見をする。
 この入港はくじらのあらゆる肉を焼き鳥にして三軒の屋台を作り、製油工場の顔色の白い連中が三日前から作り上げたものを炭火で焼いて、一升瓶をずらりと並べ、全員に無料サービスに当たる。

おやじメモより

 入港、四年生 古川さんと

ビキニ環礁
入港式の献立

 さて、時期こそ違いますが、第27次南氷洋捕鯨、昭和48年4月15日に入港した第三日新丸の献立が丸山シチュウジ(司厨長)のノートに書き残されています。

 こういう献立を予算内に収めるべく組み立てていたのがシチュウジの仕事だったのでしょう。入港当日は折詰なんですね。持って帰れるようにしたのでしょう。ケーキ、フルーツ、牛乳も付いてます。

 幼稚園の頃、横須賀で母船に乗船したことがあるのですが、その時食べたカレーライスは、ひょっとすると丸山シチュウジ(司厨長)が腕を振るったカレーかもしれません。

昭和29年回顧(静岡編)

 国体 三十二年めざして

 消防活動の精華

 中小企業えの金融措置

 保険・衛生

 社会福祉

 水爆の恐怖

 教育・文化

 14号台風台風

 産業の動脈 改良建設急ピッチ

 総合開発計画の進展

 

昭和29年回顧(静岡編)

入港式

赤道際で「劇」 ミナシキ16mm映写機

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