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第三日新丸

おやじメモ

 かつては第三日新丸(大洋) 九州男児の社長が何故に私とコンビを組んだのか、

 

村野七男氏。

 

 同室二人で十有余年、教えられた社長の訓示。

 大洋漁業といえば、そのルーツは1880年(明治13年) 中部幾次郎氏まで遡る事になるが、おやじメモにある村野七男氏の名は出てきませんので、おそらく村野氏のご実家が九州にあり、何かご商売をなさっているとか、社長は渾名で、普段の態度や性格的なところから呼ばれるようになったのではないかと思われます。
 きっとおやじはこの方から十数年いろいろと、教えを頂いていたのでしょう。
 写真は第三日新丸のようです。

英語版ウィキペディアウィキペディアによると

 第三日新丸はスウェーデンのGotaverken Cityvarvetによって1947年にコスモスIII

(18047 トン)と命名されて建造された。

 その後の詳細はわからないが、1961年(昭和36年)に大洋漁業に売却され、第三日新丸捕鯨母船として活躍する。

 ということは、この写真は昭和36年以降の出港式かもしれません。もしかすると第三日新丸の初南氷洋捕鯨記念に撮った写真かもしれませんね。

​ 左の写真はおやじですが、メモはありません。同日同船の甲板の上で撮って頂いた写真であろうと思われます。

 下の写真も同日同船だと思われます。母船中央の高いところから船首方向を撮ったのでしょう。

 こちらは昭和61年10月28日、第四十二次南氷洋捕鯨、最後の商業捕鯨へ向けて横浜港を出港した第三日新丸が、甲板で俎(まないた)を作っている風景です。

 商業捕鯨はこの第三日新丸船団が帰港した昭和62(1987)年3月14日に終了し、南氷洋商業捕鯨の幕が下りたのでした。

 おやじもこの航海まで乗船していました。

動画で見る捕鯨世界史

 

紀元前6000年ごろ:千葉県館山市の稲原貝塚からイルカの骨に刺さった黒曜石(石器時代には、やじり・刃物な

         どの材料であったガラス質の火成岩の一種)のヤス先の石器が出土している。

紀元前3000年ごろ:石川県の真脇遺跡で大量に出土したイルカの骨の研究によって、積極的捕鯨があったことが

         証明されている。

紀元前3000年ごろ:青森県三内丸山遺跡から鯨の骨が出土している。

紀元前3000年以降:ノルウェーで小型歯クジラ捕鯨を描いた洞窟壁画が残されている。積極的捕鯨の証明。

捕鯨の歴史と世界史地図

赤道直下

第十一次南氷洋捕鯨出漁記念

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