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目標達成

おやじメモより

 3月に入ると皆は帰る事しか考えない。それに二十二時頃から夜がハッキリして来る。然し二時には夜明けとなる

                   夜がハッキリするというのは、

                  真っ暗になるということでしょう

                  ね。

 日の出とは、太陽が地平線から顔を出し始めた瞬間。日の入りは、太陽が地平線に沈みきって見えなくなった瞬間です。太陽が顔を出してなくても、空はしばらく明るいままでしょう。白夜から極夜へですね。

 帰る事しか考えない。そうでしょう。目標達成次第帰れるわけですからね。

 南氷洋の夏も終わり、沈まぬ太陽が段々顔を隠すようになるこの頃は、捕鯨シーズンが大詰めを迎えている時期でもあるわけです。

 あと一息ですね。

 

おやじメモより

 氷柱 キャッチャーボートにはこんなにつららが下がって来る 厳寒そのものだ 

    早く帰りを待つ 
    [ 目標突破 ] の声高らかに 日新丸行進曲と共に南極圏内 大陸と氷山と鯨とに別れ

      を告げて 世界の捕鯨船達も皆切揚る頃

もくひょう

 目標達成ですね。捕鯨オリンピック時代IWCが設定していた全体目標である15,500 BWU (昭和29年)を突破したのでしょう。達成は各国の捕鯨船団に伝達され、日新丸では「日新丸行進曲」が流されていたようですね。これで母国へ帰れるわけです。

 南極大陸と数々の氷山と鯨たちに別れを告げ、極寒の南氷洋で船首を故郷日本へ向けるのだ。

 その頃キャッチャーボートは氷とつららで飾りつけられ、アイスバックの中で母船日新丸から「イザ!復路前進」の合図を待つのでしょう。そして暴風圏の荒波へ突入するのです。

 

 話は変わって昭和42年。シーズンは違いますがその辺りのことを第21次南氷洋捕鯨での第十八関丸にて、機関長の弘井武志氏が書き記しています。

 昭和42年第21次南氷洋捕鯨ではIWCの全体目標が 3,500 BWU でした。随分下がったものですね。捕鯨船も6隻だったようです。

弘井武志氏

昭和42年3月12日(日)[ 天気F(霧)、風力3 ]

母船が完全に処理を終わるまで、キャッチャーボートも同航と

の事で、半速にて航行する。本日は濃霧。昨日捕り残してあっ

たら、今日も捕獲できずという事だった。甲板部は夜通し呑ん

でいたらしく午前2時半、村上に起こされウィスキーを少々注いでやり、村上の愚痴を聞いてやる。「彼らが自分のところへ出入りするのが怪しからん」と船長が文句を言うらしく、船長は全く器の小さい男だ。それ程自分が親分振りたければ、酒を沢山買って来て部下に時々呑ましてやる事だ。酒呑みのくせに酒を買ってこないで、方々かたり歩いて若い者にまで呑まして貰う様では船長と言えぬ。

昭和42年3月11日(土)[ 天気B-O(快晴-雲)、風力2−3 ]

朝から上凪なれども発見遅く、今日中に残り45頭は無理かなと思ったが、各船及び第五利丸等の発見あり。本船も午前7時頃より追尾に掛かり、その内に各船が続々と命中。ついに第十六利丸の命中にて打ち止め。第21次南鯨も漸くにして終わる。

本日、淑子の誕生祝の電報と共に、無事操業終了の祝電を打つ。

南氷洋も21回目、全く体も続く事だ。しかし今も昔も鯨の多少にかかわらず、船団長等は誰でも出来るという事だ。

午後6時半、さしも長かった第21次南鯨も日没となる。最後の終鯨(ママ)に相応しい風力で、真っ赤な夕焼けが沢山流してきた鯨の血の色よりも赤く、最後の夕空を照らす。

南氷洋の太陽よ 鯨よ また来漁期まで 命あれば!!

朝から天候を見て今日終わる事を見込んで、昼頃より局長と前祝いにチビリチビリやっていたが、夕食時に日本酒が出て相酔って、ベッドに入りすぐ眠ったらしい。午後9時頃

揚野が呼びに来て食堂に行く。機関部や局長、司厨長等に

加わり大騒ぎ。ついに局長がグロッキィとなり、部屋に抱き

込みソファーに寝かし、自分も部屋に帰り寝る。

日新丸船団捕鯨船別捕獲表

  船 名    

第二十五利丸

第 十 六 利 丸

第 十 八 関 丸

第 十 八 文 丸

第 十 七 文 丸

第  七   勝  丸

       第十八関丸命中率77.9%

長須鯨

13(反則1)

8

7

12

11

13

鰛 (いわし) 鯨

303

325

315

338

261

366

抹香鯨

4

 

7

4

 

1

 弘井氏は昭和21年の第一次南鯨から参加していたベテランです。酒呑みには酒呑みの流儀、哲学があるものですよね。少々大げさか。しかし、軍隊あがりの強者揃いの中では歴代の船団長も大変でしたね。

 というわけで、様々な問題を乗り越えながらの南氷洋捕鯨でした。

 因みにさらに南の昭和基地では、2015年3月11日の日の出の時間:5時42分 、日の入りの時間:19時20分でした。

三代目日新丸とキャッチャー

← 時代は進み、調査捕鯨時代(S62〜)の動画です。

 三代目日新丸と捕鯨船が南氷洋から暴風圏へ突入する場面のようです。

 

調査捕鯨で活躍した捕鯨船

第 25 利丸 S62.12.23〜H14.4.4  下関

第 1 京丸   S62.12.23 〜H19.3.23 太地

第 2 共新丸 (目視専門船) H7.11.2 ~ H21.4.14

海幸丸    (目視専門)H17.11.8 〜H21.4.14

第 2 昭南丸(目視専門)H21.11.19 ~ H22.4.12

1998 年建造の「勇新丸」H10.11.6 ~ 

2002 年に完工した「第二勇新丸」H17.11.8 ~ 

2007年「第三勇新丸」H21.11.19 〜

調査捕鯨

おまけ

親父

 

作詞 坂本九  

作曲 坂本九

歌  大島花子

(坂本九さんの娘さん)

復路前進!

氷山の大きさ

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