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復路前進!

おやじメモより
 
 母船の後は第二天洋丸 三天洋右、左にキャッチャーボートが船体を囲み 堂々萬船で人國日本へ船艏を向ける

 この写真好きです。
 私はまだ聞いた事ありませんが、日新丸行進曲を奏でながら帰国の途についた場面なのでしょう。

 確かに二代目日新丸の船尾から撮った写真ですね。

 二代目日新丸を追うように後方に写っているのが第二天洋丸のようです。大発艇が下しやすい位置にありますね。先ほどまで使用していたのかもしれません。
 写真には写り込んでいないものの、右舷には第三天洋丸がいて左舷にはキャッチャーボートが並走しているのでしょう。

 さらに拡大すると、第二天洋丸の後方にもう一艘大型船が写ってます。この頃、綿城丸油槽船とし

て参加していたので、ひょっとすると同じく油槽船である第二天洋丸と同じ行動をとっていたのかもしれませんね。中東のペルシャ湾から南氷洋の捕鯨船団へ復路用の燃料を運搬し、母船に給油した後、鯨油を積み込んで南氷洋からヨーロッパへ向かっていたのでしょう。まずは氷山衝突を避けるために一列に並んで安全なところまで航行し、それから各方面へ進路をとるのかもしれません。

 

 

おやじメモより

 第三天洋丸を背景に
 切揚げ 顔の黒いものは誰もいない (太陽に当たることがないから)
 嬉しさのあまり 私友達は氷山くぢら背景にカメラを持って遊ぶ
 雪の上に立ち 寒さを我慢して 製油K.V.長今野さんと記念 29年3月(自分5年生)
 宮城県今野晴康氏クワナーボイラー係長と

 昭和29年3月は第8次南氷洋捕鯨の終了です。

 写真が小さいので、これが第三天洋丸かどうかは判断できませんが、船首が左なので二代目日新丸の右舷側から撮った写真であることは間違いないようです。母船と方向が同じです。

 太陽に当たることがないとは、この頃になると南氷洋は夏から秋へ移り、沈まぬ太陽が昇らなくなり、いよいよ極夜の冬へと向かいます。三月の昭和基地では、平均気温が -6.5℃になる頃です。

 

 そんななか、切り揚げは船団共通の喜びだったのでしょう。相当嬉しかったようですね。

「イザ!復路前進!」

 しかし、なかなかスムーズには行かないこともある様です。

 第21次南氷洋捕鯨での第十八関丸にて、機関長の弘井武志氏はこう書き記しています。

昭和42年3月13日(月)[ 天気 O(雲)、風力 0 ]

 第二十五利丸の排気タービン故障のため予定変更になり、午後一時より給油開始。母船に上がりウィスキーを呑みオダを上げ帰船。その後、夕食時に日本酒を呑み、あちこち呑み歩き大分酔った様なり。給油後に母船を離れ、捕鯨船は175rpmにて先航する。ソレ走れ 内地へ!!

ひろいたけし

 南氷洋から日本へ向けて、前進! 

 

大洋漁業 ヘリコプター くじら号 BELL 47D-1

日新丸行進曲

目標達成

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