お や じ の ア ル バ ム
南十字星

おやじメモより
一週間の映画祭 何と赤道は暑い 裸は禁じられていても 禁じる者も皆同じ事だ
今夜は ◎別れのタンゴと哀愁並び新婚お化け屋敷の三本立て
空は綺麗な星 南十字星が光輝としてる

実際のアルバムには、上の写真の下に左のメモが書かれています。
残念ながら私はまだ南半球に行った事が無いので、この通りなのかどうかわかりません。
そこで、便利なネットで確認しようと「南十字星」を検索してみました。
短い時間の中で色々見つけたのですが、ダントツに美しかった写真を紹介します。

南十字星(撮影地:インドネシア ジャワ島)
この写真を見るとなるほどと納得ですよね。
撮影者は「美しい風景を求めて!」というブログオーナーの「comet2054 」さんです。
この度、急なお願いにもかかわらず写真紹介を快く許可して頂きました。あらためて感謝申し上げます。
綺麗な写真が沢山ありそうなブログなので、私自身ゆっくり遊びに行きたいと思っています。
今からおよそ60年前、日新丸からこの星南十字星を眺めていたのでしょう。
捕鯨船(キャッチャーボート)でも上映していたかどうかは分かりませんが、捕鯨母船では南十字星を眺めながら映画を上映していたようです。
◯ 別れのタンゴといえば、1949年(昭和24年)公開の高峰三枝子主演の松竹映画です。
キャスト 花村恵美子…高峰三枝子 スタッフ 企画:吉村公三郎
宮田浩三…若原雅夫 製作:小倉武志
杉浦富子…高杉妙子 監督:佐々木康
大井泰介…佐分利信 脚本:長瀬喜伴
村田次郎…清木一郎 音楽:万城目正
叔父・勇作…坂本武 美術:浜田辰雄
監督 マーヴィン・ルロイ
脚本 S・N・バーマン
ハンス・ラモー
ジョージ・フローシェル
原作 ロバート・E・シャーウッド
製作 シドニー・フランクリン
出演者ヴィヴィアン・リー
ロバート・テイラー
音楽 ハーバート・ストサート
撮影 ジョセフ・ルッテンバーグ
編集 ジョージ・ベームラー
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
米国公開 1940年5月17日
日本 1949年(昭和24年)3月
上映時間 108分
◯ 哀愁 原題は「ウォータールーブリッジ(WATERLOO BRIDGE)
原作は1930年6月6日に、戯曲家であるロバート・シャーウッド作の二幕の舞台劇としてブロードウェイで初演され、翌年1931年にジェームズ・ホェール監督で映画化されている。
1940年公開はマーヴィン・ルロイ監督によって制作された。
1953年に日本で制作された『君の名は』は、この映画のウォータールーブリッジを数寄屋橋に置き換えて製作されたリメイク版である(但し、内容は大きく異なる)。
◯ エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷 1939年(昭和14年)公開

製作会社:東宝映画(東京)
配給会社:東宝
出演者:横山エンタツ
花菱アチャコ
霧立のぼる
三益愛子
高勢実乗
川田義雄
日新丸 赤道祭 相撲大会 その1 セレベス島
横山 エンタツ(よこやま エンタツ、1896年(明治29年)4月22日 -1971年(昭和46年)
3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見(いしだ まさみ)。
花菱アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年(明治30年)7月10日 - 1974年(昭和49年)7月25日)は、大正昭和期の漫才師、俳優。本名:藤木 徳郎。福井県出身。
横山 エンタツと花菱アチャココンビ(エンタツ・アチャコ)は、「万才」に代わり、「しゃべくり漫才」を発明し、これで今につながる漫才ブームを作った。スーツで舞台に立ったのもエンタツ・アチャコが初めてである。現在の(全国的に流布した)漫才スタイルの元祖。漫才作家秋田實の良き相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。吉本新喜劇初期の出演者でもある。
「オール阪神・巨人」に「二代目エンタツ・アチャコ」を継がせるという話があったが、オール阪神・巨人側が「おそれ多い」と断った。
2本の指でちょび髭を押さえて「ハッハー、照れくさー」と言うのが唯一用いたギャグ。後代にザ・ドリフターズの加藤茶が「加トちゃん、ペッ!」に改作した。
出港 捕鯨船と捕鯨母船の挨拶