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マルハのロゴ

おやじメモより

 帰りのコースの赤道際は格別に嬉しい 
 煙突化粧の甲板部の船員達
 後十日で入港だ!

 南氷洋に向かう往路の赤道際よりも、目標を達成して母国を目指す復路の赤道際の方が楽しいですよね。

 あと10日ということは、赤道を通過し、セレベス島付近に居るのでしょう。あるいは同位の北緯の場所ですね。入港準備中なのだと思います。

 それにしてもデカイ!

 因みにマルハOBの山田氏によると、このマークを外国船員はワンポンドマークと呼んだそうです。ポンド記号の「lb」を筆記体で書くと「は」にているためだそうです。

wikipedia によると

 創業者の中部家が明石郡林村の出身であることから、屋号が「林屋」となり、途中の代から林家兼松と名乗り、屋号を「林兼」とした。この当時から屋号の略称として「」の字を用いており、林兼商店となった後も丸枠の中に「」の字を入れた商標を用いていたことに由来する。また、航海中『荒波(は)を丸く収める』という意味も掛けられていた。この1921年(大正10年)に商標登録された「マルハ印」は、1993年(平成5年)に新たな商標に変更されている。

沿革

1880年(明治13年) 中部幾次郎が家業を継ぐ(マルハ社史では創業とされる)。

1904年(明治37年) 事業の本拠地を明石林崎漁港から下関へ移転。

1922年(大正11年) 土佐捕鯨を買収し捕鯨業に進出。

1924年(大正13年) 株式会社林兼商店を設立。

1936年(昭和11年) 南氷洋捕鯨に初出漁。

1943年(昭和18年)3月 水産統制令により株式会社林兼商店の内地水産部門と、大洋捕鯨株式会社、

          遠洋捕鯨株式会社を合併し、西大洋漁業統制株式会社と社名変更。

1945年(昭和20年)12月 水産統制令が廃止。西大洋漁業統制株式会社が西大洋漁業株式会社と改

           称。同月に大洋漁業株式会社と再び改称。

1946年(昭和21年)12月 戦後初の南氷洋捕鯨に第一日新丸が出漁。

1947年(昭和22年)9月 大洋漁業の持株会社である林兼商店が財閥解体による 第5次指定持株会社

          に指定される。

1948年(昭和23年)12月 第三天洋丸、川崎重工業より引き渡し、南氷洋に向けて神戸港出港。

1949年(昭和24年)11月 プロ野球球団「まるは大洋球団」を結成し、セントラル・リーグに加盟。

1950年(昭和25年)7月 大洋漁業株式会社が株式会社林兼商店を合併。「まるは大洋球団」を「大洋

          ホエールズ」に改称。

1951年(昭和26年) 海外事業(インド他)に先鞭  母船式北洋サケマス漁業再開。

1953年(昭和28年) 魚肉ハム・ソーセージ発売、養殖事業を開始。

1954年(昭和29年) 北洋へ錦城丸船団出漁。

1958年(昭和33年) 西アフリカ海域にトロール漁業で進出。

1960年(昭和35年) 飼料畜産など陸上部門に進出。

1961年(昭和36年)ノルウェイのコスモスⅢ世買収→第三日新丸

1964年(昭和39年) 塩水港精糖株式会社に資本参加し製糖事業に進出。

1973年(昭和48年) 6月 株式会社千代田を合併。

1977年(昭和52年) 新領海法が施行。排他的経済水域の設定により遠洋漁業は衰退へ向かう。

1993年(平成5年)   マルハ株式会社と商号変更。「大洋ホエールズ」球団を

         「横浜ベイスターズ」に改称。

1995年(平成7年)   中華人民共和国に合弁会社を設立。

1996年(平成8年)   4月 株式会社大洋シーフーズを合併。

1999年(平成11年) 砂糖事業を分離し別会社化。

2001年(平成13年) マルハペットフード株式会社をMBOにより独立

2002年(平成14年) トロール漁業事業、冷蔵事業を分社化。横浜ベイスターズの全持株を東京放

          送、ビーエス・アイ(現BS-TBS)へ譲渡。

2003年(平成15年) 大阪魚市場株式会社と包括的業務提携を行う。

2004年(平成16年)3月1日 株式交換により「青森罐詰株式会社」・「土谷食品株式会社」を完全子

          会社化。

2004年(平成16年)4月 マルハグループを持株会社方式により再編。株式移転により株式会社マルハ

          グループ本社を設立し、マルハそのものはマルハグループ本社の完全子会社とな           る。

2005年(平成17年)3月 子会社パールエールを通じて保有していた塩水港精糖株式50.18%を、内

          24%を三菱商事に30億円弱で譲渡し、パールエース株式全部を塩水港精糖に売却

          し、製糖事業から撤退。

2007年(平成19年)6月13日 『割戻金』などの名目で、下請け会社から下請代金を不当に減額したと           して、公正取引委員会から、下請法違反の疑いで勧告を受ける。

2007年(平成19年)10月 ニチロとの経営統合・株式交換により、統合持株会社として、マルハグ

           ループ本社をマルハニチロホー

           ルディングスに商号変更。

2008年(平成20年)1月 ジェイティフーズの中国製冷凍ギョーザの食中毒問題を受け、自社で販売し

          ているレトルト食品2品目を自主回収することを発表。

2008年(平成20年)4月 グループ内の事業再編により、水産業専業の株式会社マルハニチロ水産に改

          組。

2014年(平成26年)4月 グループ再編に伴い、マルハニチロ水産が、マルハニチロホールディングス

          を含むグループ5社を吸収合併し、マルハニチロ株式会社に改称。旧マルハの法

          人格へ事業を集約することになった。

 

参考資料:マルハニチロ

初代日新丸 1936年(昭和11年)建造。国産初の捕鯨母船。

初代第二日新丸 

1937年(昭和12年)建造

第一日新丸(のちの綿城丸

1946年11月18日戦後第一次南氷洋捕鯨に長崎より出港。 

二代目日新丸 

1951年(S.26)9月30日竣工。

二代目第二日新丸 

1957年、アブラハム・ラーセンを買収した。

錦城丸 

1954年(昭和29年)4月30日再度、川崎重工業(神戸)で捕鯨母船に改造。

第三日新丸 

昭和36年、綿城丸の代替のためにノルウェーの「コスモスⅢ世」を買収した船。この船団による第四十二次南氷下洋捕鯨が1987年3月14日に終了し、南氷洋商業捕鯨の幕が下りた。

第三天洋丸

昭和23年12月22日、南氷洋に向け神戸港を出港。

捕鯨船

ペンギン

いたずら 北氷洋捕鯨

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