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ラジオブイ

おやじメモより

 白長須くぢら 旗はラヂオブエ

 ラヂオブエはラジオブイの事だと思います。

 近頃様々な捕鯨家族の方と会話をしていると、それぞれの地域で微妙に発音が違って伝わっていることを発見しました。おやじの場合は津軽弁の影響が大きいのだと思います。
 ラジオブイとは漁業などで使われている電波を出すブイのこと。または海上に浮かべて 航路の標識となるブイ。
 しかし、この旗から電波が出ているようには見えないが、、、。

 竿の中に小さな送信機が付いていたのかもしれませんし、単にマルハのクジラという印なのかもしれません。
 そもそも何故くじらに旗を揚げる必要があったのか?
 初漁の印だったのか。この頃は二国の捕鯨船が一頭のクジラを追いかけていたという捕鯨オリンピック時代ですから、他国や他社の捕鯨船団にも分かるように、互いに捕ったクジラに印をつけていたのかもしれません。後で喧嘩しないようにする為の知恵だったのかも知れませんね。はて、真相はいかに、、、。

 因みに、死ぬとすぐ沈んでしまうナガスクジラ系には、空気を入れて浮かせていたようです。数がまとまったところで捕鯨船、または曳鯨船が母船へ運んでいたようです。

第21次南氷洋捕鯨での第十八関丸に乗船していた機関長の弘井武志氏の日誌から、ラジオブイに関する記述。

 

昭和42年3月3日(金)[ 天気 O(曇り)風力7−5 (風速8m/sec以上17.2m/sec未満)]

 荒天のため午前7時30分まで待機。午後になるに従い漸く凪ぎ始め、うねりは高いが風力4-3(風速3.4m/sec以上8.0m/sec未満)位となる。本船は5頭、総計24頭。夜に入れば再び荒れるとの事で24頭で終了。集鯨に掛かれども2頭目のラジオブイが故障となり、第十二関丸と共に探しに行くも見えず。代りの鯨を捕る事になり追尾しドンガラ(ドンと音が響いたのに鯨に当たらないこと、空撃ちに終わる)2発、日暮れ落ちて漸く命中。明るい時狙って打ってドンガラ、暗くなり盲撃ちで命中とは?午後8時過ぎ集鯨終わり。風呂に入り春ヤンを呼び、ホワイトホースを2人で少々。10時過ぎに寝る。今日は桃の節句だというのにサンザン(3月3日)だった。

収鯨の際に村田全快し帰船。

(この場合の収鯨は、母船へ鯨を渡す渡鯨(とげい)の事だろうと思われます)

 

昭和42年3月4日(土)[ 天気 B(快晴)風力8 (風速17.2m/sec以上20.8m/sec未満)]

 昨夜流失した鯨を第七勝丸が見つける。あれだけエアーを入れて沈む訳がなく、アンテナが折れたのが原因でAの不始末だ。荒天のため午前7時に発航。1頭捕獲するも波高く、昼頃に漂泊(船を流れに任せる)。久しぶりに(三日目)無線室に行き呑む。夕食時に25,000トン突破祝いのお酒が出て、少々下地が出来ていたので、良い機嫌になり相当呑んだようなり。午後9時漂泊。9時過ぎに帰室しべッドに入る。

 なるほど。捕鯨船では鯨銛が鯨に命中すると、鯨が沈む前に空気を入れて、ラジオブイを装着していたんですね。それを繰り返してある程度頭数がまとまったら浮いている鯨を集鯨して母船へ運んでいたようです。

 

大洋漁業のラジオブイ

 第五次南氷洋捕鯨までは、この赤地に白字の旗(抹香フライキ)のみを目印にして曳鯨(浮鯨を集めて母船へ運ぶ)していたようです。ところが悪天候になると旗が見えなくなるため、その対策として昭和26年、二代目日新丸がデビューした第六次南氷洋捕鯨からラジオブイが使用されました。

 ところが、初めから上手く行った訳ではなく、200kHz〜410kHzだったものを2000kHz〜4000kHzへ周波数を変えたり、真空管時代でしたので、様々な工夫を施して、なんとかラジオブイの方は使えるようになった。

 受信側の無線方向探知機は、ループアンテナ(枠型)を船外に取り付け、それを船内から手動で回転させていました。しかし、これでは効率が悪い。

 そこで、旧海軍の技術を取り入れることになり、ループアンテナを船外の高所に取り付け、 スイッチを入れると ブラウン管の画面に方向を示す プロペラ像が

現れて、システムは全自動で動くようになった。

 旗とラジオブイを使う事により、全天候で浮鯨を集鯨できるようになり、大幅に効率が上がったのです。また、旗(ポール)とラジオブイが一体化した「ポールブイ」へと進化します。

 さらにラジオブイの技術は、様々な網や蟹カゴの流失防止用、各種漁業の漁具装置として発展して行くことになります。

ラジオブイの点検「南氷洋だより」より

参考資料:無線標定移動局

    :捕鯨に生きた

    :南氷洋だより

  

 

同じ写真が本に載っていた

 「捕鯨に生きた」という本と読んでいたら、まさかの同じ写真が載っていた。しかも二枚も。資料が少ないのかもしれませんね。

 

捕鯨に生きた

成山堂書店

初版 平成9年12月8日

再版 平成17年9月18日

ブログより古いという事は、たまたま同じ写真を持っていたようです。

青?港

錦城丸にて

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