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第十一次南氷洋捕鯨出漁記念

Abraham Larsen

 翌昭和32年の第十二次には、大洋漁業が第二日新丸(元南アフリカ共和国船籍のアブラハム・ラーセン)を加えて6船団とし、ついに戦前と同じ水準まで回復した。

 

 太地の古式捕鯨を思い起こすようなアルバムの表紙と裏表紙です。 
 左は中表紙です。

 

 戦後日本の捕鯨技術は見る見る向上し、捕鯨母船はこの第十一次南氷洋捕鯨時で、大洋漁業の二代目日新丸と錦城丸(昭和29年から北洋)。

 日本水産は図南丸に松島丸(13,800t,中積油槽船改造、のち第二図南丸と改名)を加えた2船団。

 いろいろあった極洋が第二極洋丸(16,6433t,パナマ国籍のオリンピックチャレンジャー船団を購入)を投入し、日本は5船団体制になっていた。

76211/JDAR 貨物船 16,433G/T 進水 1943.10.__(昭18)
Lpp 167.10 B 20.70 D 17.20 m 主機 TE Turbo Electric 6,000HP 13kt
Kaiser Co., Inc.,U. S.建造 建造者不詳 
Olmpic Challenger 竣工時の船名不詳 
1950(昭25)鯨工船に改造
1956.3(昭31)極洋捕鯨(東京)に売却
1956.10(昭31)改造工事後、第二極洋丸 KYOKUYO MARU No.2 と改名
1956.10.27(昭31)第11次南氷洋捕鯨に第二極洋丸船団として出漁
1964(昭39)第11次から19次まで南氷洋へ連続出漁
1966(昭41)第15次北洋捕鯨へ極洋丸船団に替って出漁、以降毎年出漁
1973.11.15(昭48)オーシャングリーンK. K. に売却(売却先の詳細不詳)、オーシャングリーンと改名、油処理船として使用
1975.12.22(昭50)解体のため韓国に売却

 2015年夏、第三日新丸のシチュウジだった丸山さんの息子さんとお会いした時、同じアルバムを持っていたことに感動しましたね。おそらく全国の大洋漁業の捕鯨家族の家には、眠っているアルバムがあるだろうと思われます。

図南の翼 第三図南丸物語(前編)

図南の翼 第三図南丸物語(後編)

第三日新丸

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こうして30年

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