お や じ の ア ル バ ム

大洋漁業 ヘリコプター くじら号 BELL 47D-1
おやじメモより
昭和29年3 月南極洋にて切揚記念 岡田製油課長 玉川さん 藤本さん 右俺だ。
これから飛び立つのか、エンジンがかかっているヘリコプターの前で記念写真ですね。名前に関しては順序不同のようです。
この写真のヘリコプターを見て「そういえば幼少の頃に描いていたヘリコプターって、こんな感じだったな」と思い出しました。骨組み丸出し的なテールブームに特徴がありますよね。クレヨンで一本ずつ描いていたように思います。
◎ 日本のヘリコプター半世紀(1945~50年代) によると
敗戦直後の昭和20年 (1945) 8月25日、連合軍総司令部 (GHQ) が日本に飛行禁止を通告。11月18日 GHQ航空禁止令。わが国の一切の航空活動を禁止、航空局の廃止を指令。
昭和27年 (1952)
3月14日 日本機械貿易(現三井物産)ベル・ヘリコプター社との間でモデル47の販売代理権と製造権に関する
契約締結。
7月15日 航空法施行。
7月16日 航空機製造法(現航空機製造事業法)施行。
8月1日 航空庁が航空局に改組され、運輸省内局となる。
保安庁発足。1950年発足の警察予備隊は保安隊へ、52年4月発足の海上警備
隊は警備隊へ改称。
8月8日 萩原久雄氏ヘリコプター試作機を公開。有志とポケットマネーを出し合って
つくったもので、ローターブレード先端にジェットを取りつけて駆動する。
1959年まで4機が試作されたが地上数メートルの浮揚に終わった。
9月10日 産業経済新聞社のヒラーUH-12Bが日比谷公会堂前で公開飛行。藤本直航空
部長の操縦で、運輸大臣も試乗した。
10月31日 運輸省に初の民間ヘリコプター登録。登録記号JA7001は産業経済新聞社の
米軍払下げを輸入したシコルスキーR-6A,JA7002は同じく産経のヒラー
UH-12B。
昭和28年 (1953)
1月16日 川崎で国産化されたベル47Dの1号機 (JA7016)が初飛行。川崎は1968年まで 機体を進化させ
ながら229機を生産していました。
シコルスキーR-6A
ヒラーUH-12B

燃料タンクにBALLと書いています。
このヘリは戦闘機などを製造していた ベル • ヘリコプター(Bell Helicopter Textron )社のヘリですね。
川崎ベル47D-1国産1号機の組立てが完了したのは昭和29年2月15日で、この場合はタンクにKawasaki の文字が書かれています。初飛行から13ヶ月ですね。

テールの数字を拡大すると「015」を確認出来ます。ここには機体記号が書かれているので調
べてみると、この機体は昭和28年 (1953)10月29日 JA登録「JA7015」 BELL 47D-1 である事が分
りました。昭和28年の深秋、第 8 次南氷洋捕鯨出港直前に搭載されたのでしょう。因みに7001~7999はピストン・ヘリコプターを意味します。いわゆる自動車のエンジンのようにピストンが上下に動くレシプロエンジンのことです。
登録記号 型式 製造番号 年月日 所有者(使用者) 定置場 備考
JA7015 ベル47D-1 686 1953/10/29 大洋漁業 東京ヘリポート 新規
JA7015 ベル47G 686 1960/11/29 抹消 仙台沖にて波により大破(1954/09/17)



フロントを拡大してみました。
マルハのロゴが描かれていますよね。文字は手前から「大洋漁業」です。そして大洋漁業のヘリの愛称が「くじら号」でしたので、正面から見るとこんな感じではないかと
おやじメモより
氷山が見えなくなった頃
寒さ厳しいがヘリコプターが飛び去った後 パッと立ってパッと撮ったが風寒く 岡田製油長(41)と自分は目をつむってしまった。
A 長崎市の富田さん(28)
B 岩手県の玉川さん(28)

思われます。他の方の写真で確認したいのですが、今の所見つかっ
ておりません。もしかすると「くぢら号」の可能性もあります。
と、思っていたら。
大洋漁業が昭和31年に発行した非売品「南氷洋だより」によると、ここは「大洋漁業株式會社」でした。
ヘリは鯨の探察目的に用いられたり、時には母船で手に負えない病人や怪我人が出た場合に、最寄りの国の病院へ緊急搬送するために搭載されていたようです。
世界の航空機1953年(昭和28年)11月号には、11月18日に横須賀港を出港した日新丸船団に、今回我が国初の試みとしてヘリコプターを搭載したことが載っていました。
まずはベル47D−1 にフロートを取り付け、海上での離着陸を可能にしました。万が一の時には重宝しますよね。
また、燃料タンクを二つ装置し、更に22ガロンの増槽。このことで「くじら号」は南氷洋で二人搭乗時でも4時間の飛行を実現しました。
他にも船舶搭載するとして船舶無線、方向探知機、暖房装置を完備し、極地用に仕上げています。実際に使ってみると暖房装置だけは不評だったようですね。形式は、ベル47Gに変更されました。
ヘリを調べていたら1959年10月20日 JA7048 Kawasaki Bell47G-2 極洋捕鯨 という記述を見つけました。おそらくこの頃には、三大捕鯨会社それぞれがヘリを持っていたのかもしれません。
右の写真は昭和28年にヘリポートを増設した二代目日新丸と母船上空を飛んでいる「くじら号」です。

出典:南氷洋だより
このヘリポートは昭和28年のヘリ搭載に合わせて設置されたようです。飛び去った「くじら号」の後で記念写真というわけですね。物珍しさもあったと思われます。
さて、ヘリはどこへ飛んで行ったのだろう?
切り上げ後ですから探鯨ではないでしょう。4時間飛べても横須賀へは届くまい。氷山が見えなくなった頃ですから、まだまだ南半球です。日本初の試みでの、何かのテスト飛行なのか。ケガ人とか病人でなければいいですよね。
昭和29年の春、南氷洋から帰国したくじら号は、近海捕鯨のサポートをしていたのでしょう。日本の民間登録航空機検索データベースによると昭和29年9月17日、仙台沖にて波により大破したようです。この機体は南氷洋に一度行っただけで終わりました。残念。無論、後継機が投入されたと思われます。
東京タワー(昭和33年)まであと4年、東京オリンピック(昭和39年)まであと10年、東京スカイツリー(平成24年)まであと58年の昭和29年3月。同年3月1日にはNHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始。日新丸船団は初冬の南氷洋から遠く桜咲く日本へ向かって航海中のようです。
そして同年4月5日、初の集団就職列車(青森 ー 上野間)が運行されました。
敗戦国日本の活発な脈動が聞こえて来るような気がしますね。
神戸ドック
ヘリポートがない頃
いたずら 北氷洋捕鯨
復路前進!