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相馬貞男捕鯨一年生 ズック

おやじメモより

 後二時間に迫る
 昭和二十六年十月二十五日十一時00分 最初の年 一年生 23歳
 私に地下足袋を履けという人もいた ズックはハデと云う
 日新丸 23000t 處女海 昭和二十六年六月 竣水す 

ずっく

 出航2時間前ということですね。しかも一年生。捕鯨母船二代目日新丸も一年生です。

 wikipedia によると、二代目日新丸は1951年(昭和26年)9月30日川崎重工業にて竣工。とあり、竣水六月ではなさそうです。それとも竣水と竣工の違いなのか。
 総トン数16777トン・全長175.0メートル・全幅23.4メートル・喫水10.6メートル
 おやじのアルバムの最後に「こうして捕鯨に参加して三十年」とあるので、記憶違いかもしれません。t数が2300tになっているのも多分最後に乗船していた第三日新丸(23407t)のことでしょう。普通、写真アルバムは時系列に写真を貼ってるものですが、このアルバムは撮り貯めた写真を後日整理したものとなっております。
 
 ズックか~^^お洒落だったのでしょうか^^
 ズックとはオランダ語で布地を意味し、布製ゴム底の靴のことです。1880代にオランダから海を挟んだイギリスでスポーツ用に使われたのが始まりだとか。
そのころ日本は明治時代です。

 さて、日本でズックはいつ頃から作られたのか。まずはつきぼしバーチャル歴史館を見学してみたところ。

 明治6年(1873)に、倉田雲平氏が九州は福岡県の久留米市米屋町に家賃六五銭の小さな店を借り、「つち

         やたび店」と名付けて座敷たび造りを始めます。

 明治27年(1894)には、ドイツ製のミシンを取り入れて家内工業から工場生産に一歩成長する。

 明治45年(1912)には、当時¥3800円で購入した自動車で、九州一円に宣伝活動をする。

 大正3年(1914)には、九州最初の飛行大会を久留米練兵場において開催しました。

 大正7年(1918)、倉田泰蔵が三代社長に就任。

 大正9年(1920)、取引先のシンガーミシンの支配人が持参したアメリカ製キャンバスシューズを見て、布

          とゴム底がゴムのりで貼りつけられることを知り、地下足袋の研究を開始。

 大正11年(1922)に、貼り付け式地下タビの試作に成功、生産開始。

 大正14年(1925)、         運動靴(布靴紐付き)、ゴム長靴製造を開始。

                    おやじが履いていたズックの形が、この頃すでに完成していたよう

                    ですね。

 昭和2年(1927)、輸出用支那靴、朝鮮靴、クレープ底布靴、国内向け児童用の前ゴム、青年訓練用の編上

           靴の製造開始

 昭和26年(1951)、本社工場にアメリカよりジャックコンベアを輸入。以後、自社設計のジャックコンベ

          アを増設し、生産能率が飛躍的に増進していく。 

 平成18年(2006)、「株式会社ムーンスター」に社名変更

 

 この当時(昭和26年)有名になった会社といえば、昭和24年(1949)に鬼塚喜八郎社長(Wikipedia)の鬼塚商会(現アシックス)がバスケットシューズの開発を始め、1951年(昭和26年)夏、キュウリの酢の物にあったタコの足に目がとまり、タコの足の吸盤にヒントを得た全体を吸着盤のようにした凹型の底を考案し、鬼塚式バスケットシューズとして販売されました。

 おやじのズック、バスケットシューズには見えませんよね。もしかしたら月星のずっくを履いていたのかもしれません。
 

昭和26年といえば

1月3日 - 第1回NHK紅白歌合戦放送、以後恒例化。
2月9日 - 三共が日本初の総合感冒薬「ルル」を発売。
3月21日 - 浅草米兵暴行事件。
4月11日 - マッカーサーが、朝鮮戦争の対応でトルーマン大統領と対立したためGHQ最高司令官を解任され
る。
6月1日 - 大阪市営バスで日本初のワンマンカー運行開始。
9月1日 - 日本初の民間放送ラジオ局、中部日本放送と新日本放送(現・毎日放送)が開局。
9月8日 - 日本国との平和条約・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約締結。
10月14日 - ルース台風が鹿児島県枕崎市付近に上陸、日本列島を縦断し、山口県の229人を筆頭に日本全国で

     計572人の死者、22万戸の家屋に被害。

10月25日 - 第六次南氷洋捕鯨 おやじ、二代目日新丸と共に初出漁。
10月28日 - プロレスの力道山デビュー。
11月18日 - 横田基地を離陸したB29爆撃機が墜落して死者7名(砂川村B29爆撃機墜落事故)。
12月24日 - リビアがイタリアから独立。
12月25日 - ラジオ東京(現:TBSラジオ)が開局。

第九次南氷洋捕鯨

 二代目日新丸の処女航海より3年(昭和29年出港)、丸山シチュージが記録していた第九次南氷洋捕鯨の航海図です。

 大洋漁業はこの第九次から錦城丸が捕鯨母船に復帰しているので、日新丸船団と錦城丸船団のニ船団が、南氷洋を目指して出港しました。

 この航路は、日新丸船団がとっていた航路なので、当然おやじは丸山シチュージの料理を食べていたことになります。

 今頃天国で「やっと分かったか」と言っているかもしれませんね。

 またこの時すでに、鯨肉の買い付けもしていました。

 

参考資料:鬼塚喜八郎昭和26年(wikipedia)

     つきぼしバーチャル歴史館

おまけ

操舵室 レーダー

激動の記録 復興途上 

~日本ニュース昭和23―25年~

マッコウクジラ 5 歯

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