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錦城丸

おやじメモ

 昭和四十年頃、中国の揚子江のドロ運搬船に売られた。無念

 このメモがよく分からないのです。

 そもそも錦城丸は、戦時中に
三菱重工業長崎造船所で、第3次戦時標準船(3LT船)として建造されていた船舶の大攬丸(だいらんまる)です。

 昭和20年8月9日午前11時02分、プルトニウム239原子爆弾「ファットマン」が長崎へ投下された。

 大攬丸は長崎原爆投下に遭い、そのまま放置されていた。

 大洋漁業が大阪商船から3LT船大攬丸(だいらん丸)を購入改造し、昭和21年(1946年)10月15日に捕鯨母船 (第1350番船)として完成させる。船名を第一日新丸 NISSHIN MARU No.1 と改名し、同年12月戦後第一次南氷洋捕鯨に長崎より出港した。 

 1948年(昭和23年)8月、主機をD 三井B&W 5,400BHPに換装。  

 第五時南氷洋捕鯨参加後  
 1951年(昭和26年) 6月11日に油槽船に改造し錦城丸と改名。B.V.船級取得改造工事。タンカーとして活躍する。
 1954年(昭和29年) 4月30日再度、川崎重工業(神戸)で捕鯨母船に改造。北洋と南氷洋で活躍する。

 1958年(昭和33年) 10月、主機をD 川崎M.A.N.K9Z 70/120C 8000BHPに換装。
 1965年(昭和40年) 3月に不稼動船となり、解体のため売却しのちに大阪で解体された。

 おやじメモの昭和40年は合ってますが、大阪と中国ではずいぶん違いますよね。ひょっとすると別の船とごっちゃに成っているのかも知れません。それにしても船尾の形に特徴ある捕鯨母船です。

 その後中国に売却されたのは、初めに乗船していた二代目日新丸だとわかりました。

参考資料:戦時標準船

 

 

 

 

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