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錦城丸船団 シンガポール

 

おやじメモより

 赤道運動会 錦城丸にて第一位制作 

       右日下君 左自分
       自分が作って日下君と一位、

       工場課長堤畑?氏が大喜び

錦城丸船団二度目の往路、第10次南氷洋捕鯨ですね。

今でいうコスプレ大会だったのか、どうやら「夫婦こけし」で一位だったようです。

 

*赤道祭については

 日新丸 赤道祭 相撲大会 その2

 おやじメモより 

 30年11月22日 

 シンガポール港にて  

 左より 九 州 山本君、

          自分、

     鹿児島 森?君、

     茨 城 日下君 

 あつい~~~。

 

 

 おやじ27歳ですね。

 当時捕鯨船団にいた人なら一枚は

持っている写真のようです

おやじメモより

 30年11月22日 シンガポール港にて 

 

 上陸したのでしょう。
 背景は母船だろうか?
 そうは見えないですね。

シンガポール基本情報より(+)

シンガポールの歴史  1.伝説の時代
 マジャパイト王国(13~16C)に服属する国々

の中に、シンガポールの古名「トゥマセ」の記述

があり、「漁業」と「海賊行為」と「貿易」で成

り立っていた。
 14世紀末、マラッカ王国の建設者パラメスワラ

が、マジャパイトの攻撃から逃れ、5年間過ごした

「獅子の町」シンガプーラという名称が定着し、

現在の「シンガポール」の由来となっている(諸

説あり)。
 その後は「見捨てられた小さな漁村」あるいは

「悪名高き海賊のすみか」として、約400年間、

歴史の舞台に登場することはなかった。

シンガポールの歴史  2.植民地シンガポールに建設
 ポルトガル
  1511年 ポルトガルの艦隊がマラッカに到着し、攻撃を受けたマラッカ王国が滅亡。 ポルトガルは香料貿易を

      中心とする東洋貿易を独占。
 オランダ
  1602年 東インド会社設立。
  1619年 ジャカルタ占領、バタヴィアと名づけ総督府を置く。
  1641年 ポルトガルからマラッカを奪い、東洋貿易を独占。
   ※1648年 オランダ独立(北部7州がネーデルラント連邦共和国の独立を宣言。スペインからの独立)。
 イギリス
  1600年 東インド会社創設。
      カルカッタ(インド)を拠点とするが、至るところでオランダの妨害に。
  1682年 西スマトラのベンクーレンに商館設立。
   ※18~19世紀に飲茶の習慣から中国貿易が始まる(中国・インド・イギリスの三角貿易)。
  これによりマラッカ海峡の重要性高まる。

シンガポールの歴史  3.ラッフルズの上陸と英国領としての発展
  1819年1月29日 英国軍人ラッフルズがシンガポール島に上陸。
名称も英語風のシンガポールと改め、都市化

      計画を推し進めた。
      上陸当時、「120人のマレー人と30人の中国人が住んでいた」(ラッフルズの記録による)。
  1824年 人口1万683人。1836年には中国人がマレー人を上回る。
      ラッフルズによる新しい都市の建設/英国法に基づく法令整備/エスニック・グループ別の居住区。
  1824年 シンガポールをすべて東インド会社に委譲 → のちにイギリス直轄(1858)。
  1824年 英蘭条約。インド・マレー半島・シンガポールはイギリス領、東インド諸島はオランダ領として分割

      される。

シンガポールの歴史  4.英国領としての発展(不干渉政策の放棄と植民地の形成)
  1832年 シンガポールが海峡植民地(ペナン、マラッカ、シンガポール)の首都となる。
  1874年 パンコール条約(駐在官制度の導入。英国の積極的な介入開始)。
    → 爆発的な人口増大。中国人労働者「苦力(クーリー)」や日本人娼婦「からゆきさん」が登場。

シンガポールの歴史  5.日本の侵略・統治時代
  1941年12月8日 マレー半島コタバルへ日本軍上陸(
大東亜戦争(真珠湾攻撃よりも先に開戦))。
  1942年2月15日 
山下奉文中将が率いる日本陸軍がシンガポール陥落(イギリス軍の敗退)。
          
日本陸軍による軍政が敷かれ、シンガポールは 3年6ヶ月「昭南島」と改名。

          中国に肩入れしたと判断されたシンガポール在住の中国系移民(華人)に対して、日本軍の

          厳しい「検証」が行なわれる。

シンガポールの歴史 6.英国による再統治と独立への道
  1945年9月5日 イギリスの軍政下に。
  1946年10月   英国が「マラヤ連合」構想発表 4連合州、5非連合州、マラッカ、ペナンを、全て一つの政治組

         織「マラヤ連合」にまとめ、各州のスルタンの権限を奪い、総督の下で中央集権的直轄統治を

         実施。シンガポールは「マラヤ連合」から切り離し、英国の直轄植民地にするという構想。
     ▼
  1948 年2月1日 「マラヤ連邦」誕生 マレー半島で、「マラヤ連合」構想への反対運動が起き、「マラヤ連

          邦」成立 華人の多い(78%)。シンガポールは「マラヤ連邦」には加わらず、直轄植民地の

          まま残された 。

      理由1)戦略的に重要な海軍基地シンガポールを、英国は手放したくなかった。

      理由2)マラヤのマレー人指導者たちが、シンガポール受け入れを渋った。
  1955年 部分自治開始(デビッド・マーシャル首相)。

  1957年 マラヤ連邦が独立(トゥンク・アブドゥル・ラーマン首相)
  1959年 完全自治に移行(リー・クワンユー首相)。
  1961年 マラヤ連邦、「マレーシア連邦案」を提唱 マラヤ、シンガポール、イギリス領ボルネオを統合する考

      え。
     ▼
  1963 年  シンガポール、マレーシア連邦の一員に。 しかし、シンガポールとマレーシア連邦との経済的、政

       治的な差はあまりにも大きく、ことにマレー人優先政策をとるマレーシア政府と、各エスニック・

       グループの平等政策をとるシンガポール政府との対立は克服できなかった。
     ▼
  1965年8月9日 シンガポール独立。

 という歴史の中の1ページなわけですね。(日本軍云々の話はここでは取り上げません)

1955年、昭和30年の日本国内では

      1月  1日 - トヨタがクラウン発表。

      1月10日 - 日産自動車が「ダットサン・110(ブルーバードの源流)」発売。

      1月24日 - 衆議院解散(天の声解散)。

      3月  2日 - 第三清徳丸襲撃事件。

      5月27日 - ヘレン・ケラーが来日。

      8月  6日 - 第1回原水爆禁止世界大会開催。

    10月  1日 - 新潟大火。

    11月14日 - 日米原子力協定調印。

    11月15日 - 社会党の再統一に刺激され、二大保守政党の自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が誕生

         する(保守合同)。その後38年間続いたいわゆる55年体制の幕開けとなる。
    11月22日 - 第23回臨時国会召集(12月16日開会)。
アメリカでは

      7月17日 - アメリカのカリフォルニア州アナハイムにディズニーランド開園。

      9月30日 - アメリカ合衆国の俳優ジェームス・ディーンが交通事故死。

    12月  1日 - モンゴメリー・バス・ボイコット事件(1955年、ローザ・パークス)。

マッコウクジラの尾の上で

錦城丸入港

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