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マッコウクジラ  メートル法

おやじメモより

 甲板に上げられた抹香鯨四頭 身長13間

13間ですから、1.82m×13=23.6m という事に成りますね。最大全長が18.3m らしい抹香鯨にしては大きい方ですね^^
目測でしょうから何とも言えません。

メートル法

メートル法

 人間同士が仲良くなるには共通認識を持つ事が重要なポイントです。互いの接点にもなりますよね。ここがズレると仲良くなれません。まして国際社会では言語の違い、文化の違い、習慣の違いなど様々な事を乗り越えなければなりません。

 貿易で問題になるのは単位の違いでしょう。時間(カレンダー)、長さ、量などが統一されてないと商売になりません。そこで共通認識の輪を広げる努力が始まりました。

 18世紀、長さの基準をメートル法で世界統一しようとしたのがフランスです。 

 フランスは革命後の1790年3月に、国民議会

議員のタレーラン=ペリゴールの提案によって、世界中に様々ある長さの単位を統一し新しい単位を創設する

ことが決議されました。
 これを受けて翌年の1791年に、地球の北極点

から赤道までの子午線弧長(?1)の1000万分

の1として定義される新たな長さの単位「メートル」が決定されたのです。

?1)子午線弧(しごせんこ)とは地球儀に描いてある南北の縦の線。

 

 ところがですね。本家のフランスでも普及には時間がかかったのです。46年後の1837年に「1840年以降はメートル法以外の単位の使用を禁止する」という法律を作り、違反した者には罰金を課せるという方法で、ようやく定着しはじめるのです。

 国際的には1875年、メートル法を導入するために各国が協力して努力するという主旨のメートル条約が締結されました。

 

 それから10年後、日本は1885年(明治18年)に条約に加入、1889年(明治22年)にメートル原器の交付を受け、1891年(明治24年)に施行された度量衡法で尺貫法と併用する形で導入しました。

 更に1921年(大正10年)同法改正で尺貫法を廃したが、使い慣れた単位を移行することへの庶民による根強い抵抗もあり、本格的な普及はメートル法の使用を義務付けた1951年(昭和26年)施行の計量法まで待たねばならなかった。

 実に条約に加盟してから66年が経っています。


 とは言っても、平成26年(2014年)の今日でもたっぷり残ってますよね。母は現役で和裁をしてますが、使っている物差しは尺ですし、大工さんなども尺や寸ですよね。
 一つの習慣を変えるのが如何に大変な事かの証明かもしれません。

 上から5番目のマッコウクジラではありますが、ハクジラとしては一番大きい鯨であり、本種のみでマッコウクジラ属を構成するマッコウクジラ科マッコウクジラ属に分類される哺乳類です。
 特徴はなんと言っても頭の形です。大きな頭部の大部分は脳油と脂肪が占めていて、この脳油は潜水時に鼻孔に海水が侵入して冷やされることで固化・収縮して比重が大きくし、逆に浮上時には血流を増やすことで温まって融解・膨張することで比重が小さくなることで潜水や浮上がしやすくなるという説があります。

 抹香鯨は真っ逆さまに深海2000mまでもぐることができる(記録としては3000m)。光が届かない深海ではイルカのように反響定位(エコーロケーション)をつかって会話をしたり餌を探して気絶させた

りたりしているようです。

 全身の筋肉に酸素を蓄えることが可能であるため、無呼吸で一時間も潜っていられるの

もマッコウクジラの特徴です。

 餌は深海に住むダイオウイカ(ヨーロッパで発見されたタイセイヨウダイオウイカはテイオウイカとも云われ、特に大きなものは体長20mを超えたとも言われる。) などを補食している。最近(2014年)日本近海でよく発見されてますよね。
 深海では抹香鯨とダイオウイカのバトルが行なわれています。殆どは深海で勝負がつくそうですが、稀に抹香鯨の息が切れて供に浮上する事が有るらしい。


 マッコウクジラにとっての天敵は、人間を除けばシャチだそうです。と言っても狙われるのは子をもつメスが多く、オスはシャチが近づくと深海へもぐって逃げたり、尾の一撃によってシャチを返り討ちにすることがあるようです。ただし、潜って逃げても深海から浮上中に狙い撃ちされると窒息して殺されるようです。
 さて、人類が狙ったのは鯨蝋(げいろう)とも云われるマッコウクジラの脳油です。
 鯨蝋は高級蝋燭や石鹸の原料、灯油、機械油として利用され、特に精密機械の潤滑油としては代替品が無く、1970年代まで需要があった。かつてはこの鯨蝋を目的に大量のマッコウクジラが乱獲された。 特にアメリカ合衆国では18世紀から19世紀にかけて盛んにマッコウクジラを捕獲していたのです。
 そのお陰でジョン万次郎がアメリカへ渡れたのだが、、。

 米国が日本に開国を迫った理由の一つに捕鯨船の中継基地の設置があげられるが、

イギリスやアメリカが大陸近海のマッコウクジラを捕り尽くし、日本に近い西太平洋

地域に同じマッコウクジラの大規模な群れがあるのを発見したからです。

 しかし西太平洋で創業するには捕鯨基地が必要だった。アメリカはイギリスやフラ

ンスのように植民地をもっていなかったため、その遅れを取り戻すべく日本へやって来たのです。

 今でも同海域には数万頭のマッコウクジラがいるといわれる。

ジョン万次郎

パイン島氷河

氷山の大きさ

マッコウクジラ 龍涎香(りゅうぜんこう)

命中!

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