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倉庫(田浦事務所) 横須賀資材部四◯四倉庫

おやじメモより

 倉庫(田浦事務所) 横須賀資材部四◯四倉庫

 毎年13時00分出港の前日に迠(まで)母船に全部運搬完了し後は 出帆当日の早朝から甲板は花輪に飾備され 家族とのお別れの言れを支換す

wikipediaによると
 田浦(たうら)は、神奈川県横須賀市の北東部の地域名(横須賀市田浦行政センターの担当区域)を指す。
 所属する地域は、田浦泉町、田浦大作町、田浦町、田浦港町、長浦町、箱崎町、船越町、港が丘の8地域。北部は追浜、東部は東京湾(横須賀港)、西部は逗子市、南部は逸見に面す。
 つまり、横須賀の田浦といえば、田浦行政センターの担当区域をいうのですね。
 これで謎が一つ解けました。長浦町も田浦だったのです。

 ということは、この辺りに横須賀資材部四◯四倉庫があったのでしょう。

旧海軍軍需部と長浦

 横須賀海軍軍需部が大正12年に新しく設置された折、手狭になった湊町(現在の汐入町1丁目)の庁舎を長浦に移転させた。当時この地区に住んでいた長浦の村民は、国道16号線をつくるために移転させられた村民とともに、国道よりも南側にあたる現在の安針塚駅近くに移り住んだ。
 そして横須賀海軍軍需部は、村民から買収した海岸地区の建設工事をはじめ、昭和2年、軍需部本部・倉庫等ができ、湊町からの移転を完了させた。

 これと並行して、国道から軍需部正門までの道路(現在の田の浦プール沿いの道)も整備され、長浦は昭和に入ると軍需部の湊町からの移転と国道の開通という2つの出来事により、町は大きく様変わりしてしまったものの、田浦全町と横須賀が国道で結ばれたことにより、軍需部で働く人も多くなった。
 軍需部とは、砲弾、魚雷、機雷などの兵器類から軍艦で使う燃料、食糧、被服までいっさいの軍需物資を工場などから集めて保管し、軍艦や前線に送り出す任務を負っている。横須賀海軍軍需部の本部は田ノ浦に置かれ、JR田浦駅の裏にある数多くの倉庫が長浦倉庫と呼ばれていた。長浦(倉庫13棟、その他10棟)・比与宇(倉庫12棟、その他2棟)・田ノ浦(倉庫24棟、その他32棟)、郷戸・狢・日向地区、吾妻山・箱崎(重油槽16)の本部地区のほか、久里浜倉庫・池子倉庫・久木倉庫・大船倉庫などに分かれていた。

 正門は現在(2016年)の横浜DeNAベイスターズ総合練習場入口付近にあり、裏門はJR田浦駅裏にあった。

 長浦から引込み線があり、連日貨車が出入りし、戦前・戦時中、軍需部前駅(現在の安針塚駅)から軍需部など海軍関係の施設へ通う人々で行列が続いたという。
 しかし、戦争が激しさを増してくると軍需部付近(現在の長浦1丁目など)の民家は「建物疎開」で強制的立ち退きをさせられ、他の土地へ引っ越ししなければならなかった。また向かい側の山に防空壕が掘られ、倉庫と従業員の避難場所とされた。
 戦後、軍需部等軍の施設は進駐してきた米軍が使うことになり閉鎖されたが、1年足らずで日本に返され、昭和21年には、東京湾倉庫(後に相模運輸倉庫)、その後、大洋漁業横須賀メリヤス工場などの民間会社が旧海軍施設に進出し操業をはじめた。長浦は、軍港長浦から平和産業の会社などのある新しく活気のある町となったが、現在は、捕鯨禁止の影響をうけて大洋漁業が去り、その後横須賀メリヤス工場もなくなった。現在この付近は海上自衛隊や米海軍に使用され、立ち入り禁止となり、一部横浜ベイスターズ球場などになっている。

← 缶詰工場

昭和60年(1985)
 9月 ・大洋漁業(株)横須賀工場を閉鎖(長浦町)

← 捕鯨資材倉庫

後の「横浜ベイスターズ総合練習場」→

← 缶詰工場

衣糧倉庫

軍需部の本部庁舎があった場所

第一需品倉庫

第二需品倉庫

大発艇と思われる

捕鯨資材倉庫

長浦埠頭岸壁

箱崎町

撮影年月日1983/05/18(昭58)

衣服裁断所

長浦1丁目

田浦港町

 マルハOBの山田氏からの情報を元に、調べて分かってきたことを重ねてみました。

 捕鯨資材倉庫がおやじメモの横須賀資材部四◯四倉庫かどうかはハッキリしませんが、すぐ側に大発艇が2隻停泊しているので、ここから母船へ資材を運んでいたのではないかと思われます。または鉄路で長浦埠頭まで運び、そこで大発艇に積み込む方法も可能です。

冷蔵庫

  ●  戦時中

   マルハ時代

  ■ マルハ時代後

事務所→

物品検査場

マルハの事務所(長浦)

出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1021053

撮影年月日:昭58年(1983)5月18日

撮影地域:横須賀

撮影計画機関:国土地理院

文字の書き込みは当HP「おやじのアルバム」が書き足しました。  

16Tがいた

撮影場所

日新丸 田浦港にて

出港準備

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