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長須くじらの胎児

おやじメモより

 
母体内にある児くぢら 長須くじら 子くじらが体内からでると「皆さんの顔は目をつぶる」

 なんとも言えませんね。でも現実です。

 他の国ではどうしているのか、どうしていたのか知りませんが、日本では古式捕鯨時代に鯨寺があったり、鯨塚や鯨墓を建立して供養していました。

 

 諸説あるものの、くじらの胎児に対しては「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれている国指定史跡「青海島鯨墓」というのが山口県長門市に、元禄五年(1692)、向岸寺五世讃誉上人の隠居所である清月庵(観音堂)に建立されています。

 とても仏教的な考え方ですが、鯨墓には下記の言葉が刻まれています。

業尽有情(ごうつきしうじょう)」といって、前世の因縁で宿業が尽きたために捕らえられた野生の鳥獣という意味。

雖放不生(はなつといえどもしょうせず)」といって、そのような野生動物は放して自然に帰したとしても、どうせ長くは生きられず野たれ死にする運命にあるという意味。

故宿人天同証仏果(ゆえににんてんやどしぶっかをしょうせしめん)」それだから人間すなわち成仏できる肉体の中に取り入れられることによって、人と同化して成仏するのがよいという意味

 

解 説

 鯨としての生命は母鯨と共に終わったが、われわれの目的はおまえたち胎児をとることではなかった。むしろ、海へ放してやりたいのだが、広い海へ放たれても、 独りではとても生きてはいけまい。それ故に、われわれ人間と同様に念仏回向の功徳を受け、諸行無常の悟りを得てくれるようにお願いする。(照誉得定師解説)

 このように日本国内では、およそ鯨に縁の深い土地には何らかの方法で回向していた跡が残されています。

 ここで紹介させて頂いた向岸寺は、応永8(1401)年に西福禅寺という禅宗寺院として開創し、天文7(1538)年に浄土宗として再興した海雲山般若院向岸寺です。

 宗教宗派はともかく、全国で鯨に携わった人達の思いは同じではないでしょうか。その思いが宗教の枠を超えてそれぞれの地域でそれぞれの形になったと考える方が健康的なような気がします。

座頭鯨のお出迎え

社員の岩尾さん

 

白長須鯨

抹香鯨 潮吹き

 

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