お や じ の ア ル バ ム
日新丸 赤道祭 相撲大会 その2

おやじメモより
赤道祭二日目の大会
Aは青森県南郡豊田村境関の日本海
日本海は相撲のしこ名でしょう。かなり本格的です。
この頃、境関はまだ弘前市ではなかったようですね。
wikipediaによると「1955年(昭和30年) - 弘前市の大字になる。」とありました。
抹香鯨の好物 ダイオウイカ
それにしても、なぜここに土が有るのでしょうか? どう見ても、ここは日新丸の俎板(甲板)の上。
日本からわざわざ土俵作りのために土を積み込んでいた事になりますね。
後片付けも大変だろうに、海の男達に取って赤道際は特別なものだったのでしょう。
由来
一説によると、大航海時代(15世紀)。風頼りの帆船で無風地帯といわる赤道付近を通過するのは大変だったようです。
この無風地帯を帆船で無事に通過できるようにと、海の神に祈りを捧げたのが始まりだと伝えられております。
日本にこの風習が伝わったのは明治時代ということですが、多神教国家である日本にも既に海の神様は祭られており、赤道通過の経験が無くてもすんなり受け入れたようです。
その後は軍艦であれ民間船であれ、すでに動力船であっても、赤道を通過する時は赤道祭が行われた。
ただし、風を呼ぶ為に海の神へ祈りを捧げる儀式というよりは、航海の無事を祈る節目として赤道祭を行い、通過を祝う祭りとして定着したようです。規律正しい厳格な日本の軍艦でさえも、赤道祭は無礼講ムードになり、やはり赤道通過祝いという内容だったようです。
現在
大航海時代から赤道祭を経験している諸外国にとっては、動力船になったからといって今更止められる風習ではなく、特に海軍では風を呼ぶための祈りから戦争に勝つための祈りへと変化し、平時では戦いを忘れる事が出来る一時の赤道祭という意味合いになったらしい。
あの有名なドイツの潜水艦「Uボート」でも、赤道通過時にはささやかながら赤道祭を
行っていたという。
潜水艦ですよ。風、関係ないよね。 ここが人間の面白いところですよね。
いずれにせよ海の男達は皆、出港した時から命を海に預けているようなものですから、
国籍も時代も宗教も超えて航海の安全や何かしらを祈っていたのでしょう。
昭和41年11月12日(土)
午後4時に赤道通過。妻に電報を打つ。例により赤道際。仕官食堂にて呑み、船尾甲板で部下一同と呑み、局員食堂で皆と合同で呑み、遂に前後不覚となりたり。
キャチャーボート
昭和41年、第21次南氷洋捕鯨往路赤道祭での第十八関丸にて、機関長の弘井武志氏がこう書き記しています。

キャッチャーボートにも食堂が二つあったということですね。弘井氏が云っている仕官食堂という言葉は日本丸などでも使われているが、一般的には軍隊用語で士官食堂という。各国の軍隊では士官学校を卒業し、初級士官教育を受けた軍人で、階級が少尉以上の武官を士官、または将校という。日本軍では士官と将校をハッキリ分けていた。自衛隊では3尉(3等陸尉・3等海尉・3等空尉)以上の幹部自衛官がこれに相当する。
軍艦では士官以上か未満かで使う食堂が違うわけだが、士官食堂は単に偉い人が食事をする場所という意味ではなく、時には応接室や作戦会議室などにも使われ、給仕がいて、正装で食事をとる部屋だった。つまり制服組。
士官食堂の使い方は民間船でも同じで、来賓を迎える時にも使用されている。特別な部屋だというわけですね。
献立にも大きな差があったが、現役自衛官によると今(2014)は平等であ
り献立に差はないそうです。ただし、セルフサービスに対して給仕付だった
り、使用される食器が少々違うようですね。
船の科学館( 東京お台場 )にある南極観測船初代「宗谷」の士官食堂の案
内説明板には「乗組員のうち士官用食堂兼サロンです。南極観測当時は、乗
組員と観測隊員との会議室としても使われました。」とある。
弘井機関長にとって赤道際は妻に電報を送る日であったようですね。一等機関士として仕官食堂への出入りも自由だったのでしょう。指折りの豪酒も赤道際では勘が狂ったのか珍しく呑み過ぎてダウンしたようです。
母船
一方母船の赤道際は、相撲あり、野球大会あり、仮装大会あり、100m競争あり、騎馬戦あり、芝居あり、ムカデ競争あり、竹馬競争あり、映画祭あり、兎にも角にも三日間、乗組員400名が赤道際を楽しんでしました。
さらに赤道際では料理が豪華。第27次南氷洋捕鯨の往路、昭和47年11月30日、第三日新丸での赤道際の献立が、丸山シチュウジ(司厨長)のノートによると下記の通りです。 ★(丸山正志 自分勝手なホームページ)

もちろん毎日がこのような献立だった訳ではありません。操業中などは意外に質素です。出港式、赤道際、入港式などではほっと一息つけそうな豪華な料理が出るようです。もしかすると日新丸でも士官食堂ではいつもこんな感じのメニューだったのかもしれませんね。
三代目日新丸
2006/07南極海鯨類捕獲調査に参加した日本鯨類研究所・調査部の和田淳氏によれば、三代目日新丸での様子を次のように書き記しています。
「食堂は士官食堂と部員食堂があり、調査員は士官食堂の決まった座席で食事を頂きます。士官食堂には 襟を正して入らねばなりませんから、調査の途中でも時間になると、カッパや防寒具、長靴を脱いで食堂 へ向かいます。長い航海の間、毎食15分ほどで済ませるので、胃腸には良い環境ではないかも知れません。」と。
襟なしシャツやサンダルも禁止されていたようです。やはり特別な部屋という事でしょう。
おやじメモより
三年生
古川さんと船尾に立ち赤道祭のビール酔ふた等
酔いさましというところか。
酔っぱらって海に落ちたら大変ですよね。
1953年(昭和28年)。そのころ日本では
2月1日 - NHKが日本で初のテレビジョン本放送を東京で開始。
3月14日 - 衆議院解散(バカヤロー解散)
4月 - 大塚製薬工場、「オロナインH軟膏」発売。
4月19日 - 第26回衆議院議員総選挙投票(1955年1月24日解散(天の声
解散))
4月20日 - ボストンマラソンで、日本の山田敬蔵が2時間18分51秒のタ
イム(当時の世界最高記録とされたが、後に距離不足が判
明)で優勝。
5月29日 - エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがエベレスト初登頂を果たす。
6月18日 - アメリカ空軍のC-124輸送機が東京都小平市に墜落、死者129名(立川基地グローブマスター機墜落事故)。
6月25日 - 29日 - 昭和28年西日本水害。九州地方を中心に758名の死者を出した集中豪雨が発生。
7月17日 - 18日 - 南紀豪雨(紀州大水害)。和歌山県を中心に死者・行方不明者1,046名を出した集中豪雨が発生。
8月14日~15日 - 南山城豪雨。京都府南部を中心に死者105名。朝日新聞に
より日本で初めて「集中豪雨」の語が使用される。
8月28日 - 日本テレビ放送網(日本初の民間放送によるテレビ局)がテレビ
ジョン本放送を開始。また日本で初めての放送事故が発生。
9月1日 - トヨタ自動車、「トヨペット・スーパー」を発売。現在の「クラ
ウン」の源流。
12月25日 - 奄美群島が日本に返還。
★ - 水俣湾周辺の漁村地区などで猫などの不審死が多数発生

【昭和ニュース】昭和28年(1953年)のニュース

おやじメモより
弘前チームの顔ぶれ 三年生
葛西さんを中心に勝ち誇った記念
弘前チーム強かったんですね。

おやじメモより
製油課長清水さんと 4年生
左:高瀬君 中左:中村君
中右:おやじ
最近鬼の~とか聞かなくなりましたね。泣く子も黙る鬼の~ってね^^
四年生ですから昭和29年の写真です。
その頃日本では
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1月 - ラストボロフ事件。
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1月2日 - 皇居二重橋で皇居一般参賀者が橋上で将棋倒しとなり16人が死亡する(二重橋事件)。
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1月5日 - 加藤芳郎の4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始(2001年6月23日に連載終了)。
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1月6日 - 青函トンネルの起工式を開催。
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1月8日 - マツモトキヨシが有限会社として設立。
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1月10日 - コメット連続墜落事故: 英国海外航空781便墜落事故起こる。
・ 1月18日 - プロ野球・名古屋ドラゴンズの経営から名古屋鉄道が撤退。中部日本新聞社の単独経営となり3年ぶりに「中日ドラ
ゴンズ」の名称に戻す。
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1月20日 - 営団地下鉄丸ノ内線の池袋駅 - 御茶ノ水駅間が開業。
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1月23日 -アメリカのテレビ局NBCのニューヨーク局WNBCが世界初となるカラーテレビの本放送開始。
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2月1日 - ジョー・ディマジオ、マリリン・モンロー夫妻が来日。
・ 2月19日 - 日本初の国際プロレスリング大会が蔵前国技館で開催(3月9日まで)。この模様はNHKテレビと日本テレビで生中
継され、街頭テレビでは力道山やシャープ兄弟に人気が集中した。
・ 3月1日 - 日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴び
る。
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3月1日 - 松下電器産業が同社初の電気掃除機「MC-1」を発売。
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3月1日 - NHK、大阪と名古屋でテレビジョン放送開始。
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3月18日 - 武田薬品工業が「アリナミン糖衣錠」を発売。
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4月5日 - 初の集団就職列車(青森・上野間)が運行される。
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4月8日 - コメット連続墜落事故: 南アフリカ航空201便墜落事故起こる。
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4月19日 - 文京区小2女児殺害事件
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4月28日 - 明治製菓が日本初の缶入りジュースを発売。
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5月1日 - 東京都昭島市、佐賀県多久市が市制施行。
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5月31日 - 大分県豊後高田市が市制施行。
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6月1日 - 京都旭丘中学事件の調停が成立して授業が再開される。
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6月1日 - 鈴木式織機、鈴木自動車工業に社名変更(1990年、スズキに再び社名変更)。
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6月2日 - 参議院、「自衛隊の海外出動(≒自衛隊海外派遣)を為さざることに関する決議」を全会一致で可決。
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6月19日 - 名古屋テレビ塔完成。
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6月27日 - モスクワ近郊オブニンスクで世界初の原子力発電所が運転を開始。
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7月15日 - ボーイング707型機が初飛行。
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7月15日 - ニッポン放送開局。
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8月1日 - 小西六写真工業が「KONIFLE II」を発売。
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8月27日 - 日本短波放送(現在の日経ラジオ社=ラジオNIKKEI)開局。
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9月15日 - ロート製薬が胃腸薬「シロン」を発売。
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9月20日 - トヨタ自動車が「トヨペット・ライトトラックSKB型」を発売(1956年、「トヨエース」と命名)。
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9月26日 - 洞爺丸事故。
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9月26日 - 岩内大火、北海道岩内郡岩内町。焼損棟数3299棟、死者33名。
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9月27日 - NBCで『ザ・トゥナイト・ショー』が放映開始。
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9月29日 - MLBワールドシリーズ第一戦8回表の守備で、ウィリー・メイズが『ザ・キャッチ』。
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10月4日 - 日本テレビ、『NNNきょうの出来事』放送開始(2006年9月29日まで放送)。
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10月8日 - 神奈川県の相模湖で遠足の中学生らを定員オーバーで乗せた遊覧船が沈没し22名が死亡。(内郷丸遭難事件)
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10月19日 - 中日が球団創設19年目で初のセ・リーグ優勝。
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10月26日 - 仁保事件が起こる。
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11月1日 - オリンパスが「オリンパスフレックスA3.5II」を発売。同じ日には旭光学工業が「アサヒフレックスIIB」を発売。
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11月3日 - 「ゴジラ」が公開される。
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11月7日 - 両リーグ初優勝同士の対決となった日本シリーズ第7戦、中日が西鉄を4勝3敗で下し初の日本一達成。
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11月10日 - 第20臨時国会召集(12月9日閉会)。
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11月24日 - 日本民主党が結成。
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12月3日 - 空手道の最初の全国大会である全国空手道選手権大会が開催される。
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12月10日 - 第21国会召集(1955年1月24日解散)。
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12月24日 - 後楽園スタヂアム運営の後楽園ローラースケート場が開場。
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昭和の大合併が進む。日本各地で市制施行。
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日本国内で実行に移されていた弾丸列車計画(通称:十五ヵ年継続計画)の完成予定年(計画自体は第二次世界大戦における日本の戦局悪化で消滅。すでに工事が進められていた区間の工事再開は1959年4月20日)。
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講談社から月刊少女漫画雑誌『なかよし』創刊。
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日新丸 赤道祭 相撲大会 その1 セレベス島
昭和29年 1954年の回顧
錦城丸船団
シンガポール
第八関丸の大量
赤道直下
船長室