top of page

おやじメモより

 昭和三十一年四月四日 

 宮城前にて 初めて入港に来た愛妻と

 いよいよ母登場です。このとき母二十歳、父二十七歳ですね。
 宮城については「東京見物 皇居」をご覧下さい。

 シチズン時計が日本初の耐震装置付き腕時計「パラショック」を発売(4月1日)した三日後の写真です。
 調べてみましたら、シチズン ディスカバリー様がシチズン歴代の腕時計を当時の出来事と重ねて紹介しておりましたのでご案内します。

 日本書紀に由来する「時の記念日」6月10日。
 場所は大阪御堂筋のデパート「そごう」の前。
 昭和31年(1959年)のこの日、シチズンは日本初の耐震装置付き腕時計「パラショック」の投下実演を行う為に、地上30m上空にヘリコプターを待機させていた。
 そのヘリから10個のパラショックが投下されるが、なんと10個とも壊れずに動いていたという。
 「シチズンは技術屋」と呼ばれる所以がここにあったのです。
 

 シチズンは全国各地で投下実演を行い、大きな宣伝効果をもたらした。
 実は、各地での投下実演中(足利市)、二個だけ壊れたらしいのだが、実演を見ていた人達からは「実際に自分の時計をここまで痛めつける事はないし、あれだけやればいくら丈夫でも二個ぐらい壊れるだろう」と納得していたという。ヘリはベル47のようですね。

「パラショック」は、手巻きの機械式3針時計で、耐震機能のほかに簡易防水性能を搭載し、販売価格は2800円から5200円程でした。
 昭和31年の東京の銭湯代が、大人15円、中人12円、小人6円、洗髪10円。ラーメン40円。コーヒー50円。米1kg79円。キャベツ、たまねぎ1kg24円。米1升108円(昭和29年)。大卒銀行員初任給約1万円。ゴールデンバット(たばこ)30円。はがき5円。国鉄初乗り10円。
 1956年版の「経済白書」に「もはや戦後ではない」と載り、ここから経済が加速してゆく。

 おやじが「パラショック」を使っていたかどうかは不明ですが、 捕鯨船の乗組員にもこの噂は伝わっていたでしょう。船乗りにとって丈夫で耐水性が高いのは魅力的ですよね。おやじの腕時計を幼い頃の記憶を辿ると、丸い形の革ベルトだったように思いますが、10年以上使っていたかどうか。

 

 

 時は流れて1983年(昭和58年)。丸山シチュウジ(司厨長)が大洋漁業から頂いていた腕時計の写真をご子息から送っていただいたので、大洋漁業の歴史の一ページとして紹介します。

 SEIKO Quartz 1983年度 CLEAR-10 運動表彰記念 大洋漁業株式会社

 

 赤道祭の運動会で入賞したのだろうか。いや、クリア10運動という何かのコンテストで好成績だったのかもしれませんね。

 残念ながらセイコーさんのHPでこの腕時計を探してみましたが、発見できませんでした。

 尚、この腕時計は現在も時を刻んでいるとのことです。(2015.11.23)

愛妻

マッコウクジラの尾の上で

錦城丸船尾 から 旧横須賀軍港 タンカー

bottom of page