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マースクの貨物船 日本とデンマーク
Anchor 17

マースクの貨物船 日本とデンマーク

おやじメモ

 

 なし

 手前に写っている船舶は、どうやらA.P.モラー・マースクの貨物船のようです。何と言っても煙突のファンネルマークが七角の星印です。

 次にデンマーク語。

 


 デンマーク語のアルファベットにはAとEがくっついたような文字が有ります。現在は英語表記ですが、この時代はデンマーク語で書かれていたんですね。

 wikipediaによると、A.P. モラー・マースクは、デンマークの首都コペンハーゲンに本拠を置く海運コングロマリット(複合企業)。2006年現在、売上高世界一の海運企業であり、コンテナ船部門に強みがある。
 創業は1904年、ピーター・マースク・モラー、アーノルド・ピーター・モラー親子が中古の汽船「スヴェンドボーグ」を購入して事業を開始。その後業容を拡大して世界屈指の海運会社へと成長した。
 1999年にはシーランド社の国際定航部門を合併(現在のマースクライン)、2006年2月にはコンテナ船部門で世界第3位だったP&O ネドロイド(イギリス・オランダ系)を買収し(現在はマースクラインの名で運航)、さらに規模を拡大させた。

 日本には昭和22(1947)年に日本支社を東京に、港湾管理事務所を横浜・神戸に開設。その後昭和56(1981)年に現地法人として「マースク株式会社」を設立し、横浜市・静岡市清水区・名古屋市・大阪市・神戸市等の国内8箇所に拠点を置いている。国内の自社コンテナターミナルは横浜港(南本牧埠頭)、神戸港(六甲アイランド)の2カ所。特に横浜・南本牧は2バースで年間100万TEU規模の取り扱いを有し、単独船社ターミナルとしては国内随一の物量を誇る。

 

 

 TEF(twenty-foot equivalent unit)とは、20フィートコンテナ換算方式の事で、

長さ20フィートのISOコンテナ(国際海上コンテナ)。これが1TEUとされる。→

 長さ20フィート(6.1メートル)、幅8フィート(2.4メートル)、高さ8.5

フィート(2.6メートル)を標準とする。

 ただし高さには種類があって、9.5フィート(2.9メートル)というハイキューブ

(High cube)と呼ばれるコンテナや、高さ4.25フィート(1.3メートル)という半

分の高さのコンテナ(ハーフハイト、Half height)などもある。こうした高さの異なる20フィートコンテナもすべて1TEUとみなしている。

 また、40フィートコンテナ(長さ12メートル)は2TEUとみなされるが、高さの違うハイキューブコンテナについても2TEUとみなされる。45フィートコンテナ(長さ14メートル)は容積で見れば2.25TEUと計算できるが、これも2TEUとみなす場合も多い。

 つまり、かなりいい加減なのだ。コンテナ船に積み込む時のことを考えると、もっとシンプルな方がいいですよね。

 FEU(forty-foot equivalent unit)とは、40フィートコンテナ換算の事で、1FEU=2TEUとなる。ただし重量面では等しくならない。TEUとFEUは、何の役に立っているのだろう?

 

 因に2013年6月14日。韓国の大宇(デウ)造船海洋が手がけた、20フィートコンテナを1万8270個積載できる世界最大規模のコンテナ船が初めてお披露目をした。

TEUとFEU

 大宇造船海洋は、慶南道巨済市(キョンナムド・コジェシ)の玉浦(オクポ)造船所で最近完成した1万8270TEU級コンテナ船“マースク・マッキニー・モラー(MAERSK MC-KINNEY MOLLER)“号の命名式を行い、発注元であるデンマークの海運会社マースクに船舶を引き渡した。 

 そして2016年、マースク・トリプルE級と呼ばれる全長400m級のコンテナ船が数十隻、日々航海を続けている。

 かつての造船大国日本は、その名を韓国に譲ったまま復活できてない。

全長399m、幅59m、約サッカー場の4倍。

日本とデンマーク

昭和32年(1957年)2月10日の事
 

 海運会社マースク社の貨物船エレン・マースク号(4,903t)が、大阪湾の神戸港を目指して名古屋を出港したのだが、和歌山県日ノ御埼沖の紀伊水道に差掛かると、風速20mを越える強風に見舞われ、悪天候の航行を強いられた。
 日ノ御崎灯台より北北西約10km付近で火災を起こしている船を発見する。近づくと徳島県浅川の機帆船(木材運搬船)「高砂丸」であった。炎に包まれた高砂丸の乗組員が、助けをもとめながら船上を逃げ惑ってる。
 エレン・マースク号は「高砂丸」乗組員の救助作業に当たる事を決断したものの、嵐の中の救出は困難を極めた。
エレン・マースク号から救命艇が下ろされ、高砂丸へ向かったが、強風のために救命艇ばかりかマースク号さえも暗礁の方向へ吹き流され、非常に危険な状態となった。

 そのため、マースク号は救命艇を回収し、高砂丸の風上に寄り、縄梯子を投下した。高砂丸の船長らしき乗組員は、何とかこの縄梯子にたどり着いたものの、あと少しというところで力尽き、海に転落した。

Ellen Maersk エレン・マークス号

 機関長(Chief engineer)として乗り組んでいたヨハネス・クヌッセン(Johannes Knudsen, 1917年12月22日 - 1957年2月10日)は、救命ベルトを締め、敢然と海に飛び込んだ。
 彼は、2週間前、同船の機関長となり、その処女航海の途上であった。そして、救命ブイを高砂丸の船長に渡そうとしたが、荒れ狂う海の中でうまくいかず、ついに2人の姿は波間に消えた。
 マースク号は再度、救命艇を出動させたが、激しい波がボートを襲い、エンジンが壊れてしまい、救命艇も流されてしまった。

 翌朝、日高町の田杭港周辺で、クヌッセン機関長の遺体とマースク号の救命艇が発見された。激浪との闘いを物語る機関長のライフジャケットや、胴体部分に大きな裂け目のあるボートを見て、近隣の人々は大騒ぎした。

 駆けつけた御坊警察署長は、昨夜の高砂丸の火災事故と、嵐の中、高砂丸の乗組員を助けようとして海に飛び込み殉死したクヌッセン機関長のことを話した。
 人々は、彼の勇気ある行動に驚き、「あの嵐の中で、日本の船員さんを助けるために海に飛び込んだ方なのか、そんなことは人間のできることではない。この人は神様だ・・・」と感動し、跪き、合掌した。と伝えられている。

 この海難事故では、高砂丸の船員3名全員とクヌッセンの4名が犠牲となった。
 おそらくこの話は、当時の海の男達の間では業種を超えて知れ渡っていたものと思います。

 その後、クヌッセン機関長の遺体が漂着した日高町の田杭地区では、勇敢な彼の行為をたたえ、彼の魂を弔いたいと、その地に供養塔を建て、住民が常に清掃し、生花を供え、慰霊の気持ちを今も絶えることなく捧げ続けている。
 また、現場を一望する美浜町日ノ岬の高台には、国境を越えた「海の男の友情、勇気ある行動」をたたえた顕彰碑と胸像が、関係町村と関西デンマーク協会によって建てられた。胸像は、デンマークの著名な彫刻家であるグームンセン・ホルムグリーン氏の制作で、1962(昭和37)年6月5日、デンマーク

駐日大使ブヌク・ニールセン氏によって、除幕された。以降毎年、命日に献花式が行われている。

 現在、一帯は「クヌッセンの丘」と名づけられ、異国の海に消えた勇者の冥福と航海の安全が静かに祈り続けられている。

 さて、おやじが撮ったマースク船は、このエレン・マークス号と姉妹船だと思われるので調べてみました。数隻ほど見つかりましたが、その中で「〜TE MÆRSK」に当てはまる船は「アウネーテ・マースク号」です。

ヨルゲンVikkelsøのプライベートコレクションから。ボンベイでアウネーテマースク、1957年7月2日。 

著作BANGSBO MUSEUM - アウネーテマースクはバックグラウンドでヴェネツィア、サン・ジョルジョ・マッジョーレで撮影。

IDNo : 5005639 
Year : 1950
Name : AGNETE MAERSK
Type : Cargo ship(
貨物船
Flag : DNK
Date of completion : 10.50
GRT (
総登録トン数): 3464
DWT(
積載重量トン) : 5400
Yard No : 148
Length overall (
全長): 117.4
LPP : 108.2
Country of build : ITA(イタリア)
Beam : 15.6
Builder : Breda
Location of yard : Marghera
Number of screws/Mchy/Speed(kn) : 1D-13.5
Subsequent History : 64 TAIFOOKSHAN
Disposal Data : BU Kaohsiung 21.5.80 [Nan Long Steel & Iron Co Ltd]
“Source : Miramar Ship Index, by arrangement”

 そして、ついに、この場所がわかりました。横浜でも横須賀でもなく佐世保でもなく、ここは神戸です。

メリケン波止場

三菱倉庫

神 戸 港

錦城丸が接岸していたと思われる場所

 AGNETE MÆRSK ​が接岸していた場所

灯台

川崎重工業

昭和36年

出典:国土地理院ウエブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=388874

撮影年月日:昭36年(1961)5月14日

撮影地域:神戸

撮影計画機関:国土地理院

文字の書き込みは当HP「おやじのアルバム」が書き足しました。  

 

 偶然、この写真の場所もわかりました。

 横浜、横須賀、佐世保、下関と屋根にCと描かれている建物を調べていましたが、さっぱり分からず諦めかけていたら、昭和36年の神戸航空写真に写っていました。

 ここは神戸港の中突堤です。

 一番上の写真は、錦城丸が神戸港の川崎重工業に接岸していたとすれば、 AGNETE MÆRSK より一回り大きい錦城丸の船尾から撮ると、少し上から目線でこのように写りますよね。

 二番目の屋根に「C」の写真は、カメラ位置の高さと被写体の角度を考えると、ひょっとすると錦城丸からではなく、マースク号の船尾から撮ったかもしれませんね。この後出てくる出光のタンカー日章丸三世の写真も乗り込んで撮ってますから、この時代、意外に、簡単に他の船舶に乗せてもらっていたのかもしれません。

 または、錦城丸がタグボートに押されて方向転換しながら、少し中突堤に近づいた時に低目の位置から撮ったかですね。

 もしかすると錦城丸ではなく、二代目第二日新丸の改装時かもしれません。

この謎のバス、京都なの?

敷設艦つがる

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